モックセンター のブログ

携帯電話スマートフォンのモックアップを販売しているモックセンターの中の人のブログです。中の人はTVチャンピオンケータイ通選手権の出場者でもあります。最低週に1度は更新したいと思います。弊社の業務に関するお問合わせは弊社ホームページのお問い合わせフォームや電話窓口にお寄せ下さい。

私のケータイ遍歴 その6

 私が携帯電話業界に足を踏み入れたのは2000年になってすぐの事です。世の中は「携帯電話を持ち始める」というフェーズから「折りたたみに買い換える」や「メールやi-modeを使う」というフェーズに移りつつある状況でした。ドコモの502iシリーズが爆発的に売れ、特にNECN502iN502itの人気は凄まじいものがありました。
 いきなり余談ですが、最近お客様からのお問い合わせ電話で「i-modeって何ですか?」と聞かれまして、果てしないカルチャーショックを受けました。ジェネレーションギャップと呼ぶほうが適切かもしれません。あの世間を大いに賑わせたi-modeを知らない世代が、既に社会に出て働いておられるという事が、大変な驚きでした。もうそんな昔の話になってしまったと、自分自身の年齢と相まって、色々と考えさせれました。


2000年~2002年

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 仕事用で会社から支給されて使っていたのがカシオのこの機種です。この機種がauとしては初めてとなるカメラ付き携帯でして、他にも通信速度が速くなる「CDMA2000 1X」に対応したとかナビ(固定画面の地図が見られるだけですが)に対応したといった様々なトピックも重なった事で、auのモデルでここまで売れたのは記憶にないというくらい、非常によく売れました。当時はドコモの市場シェアが6割近くあった時期でしたが、この機種目当てにauに移ってくる人も結構おりました。
 私としては、この機種には大変満足していた反面、カシオが普通の携帯メーカーになってしまったというもどかしい気持ちもありました。それまで数年間はG'zONEのごっつい携帯電話ばかりリリースしていましたので、せめてこの機種で儲けてもらって、儲けたお金で新しいG'zONEを開発してくれれば良いのだと自分を慰めていたような、そんな記憶もあります。



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 使用したのはそれほど長い期間ではありませんでしたが、ソニーのきせかえケータイを買いました。

 この前の年にC406Sという、ソニーでは初めてとなるきせかえパネル対応モデルが発売されまして、この機種が良い面と悪い面で賛否を二分する所があったわけですが、そのうち悪い面が改善されて登場したのが、このC1002Sだったと記憶しています。
 悪い面はジョグダイヤルの耐久性が脆い、ヒンジが脆い、液晶とボタンが接触して液晶に擦り傷がつくといった割と初歩的な問題だった事もあり、この機種はそれらの問題がほぼ改善されて、実に良い機種になりました。メールの打ちやすい機種でしたね。当時は結構個性的な機種が色々と出ていたものですから、それと比べると少しパンチに欠ける感じはありましたが。


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 私の記憶が確かなら、この機種を2001年に、九州で働いている時に買いました。DDIポケットとしては最初で最後の1台で、LEDが虹色に光る限定モデルを買いました。DDIポケットの九州方面のお偉方さんと商談をした時に、ものすごい熱意でDDIポケットの素晴らしさをプレゼンされまして、これは使わない訳にはいかないと思ってしまったのです。

 ご記憶されている方もおられると思いますが、PHSというのはそもそも移動中の通信に弱いところがありまして、基地局基地局との間で通信のバトンタッチをする事をハンドオーバーと言いますが、このハンドオーバーがダメで通話が切れてしまうのが、当時のPHSの状況でした。DDIポケットはそれを技術革新で切れないようにし、さらに通信エリアも携帯電話と遜色ないくらいまで広げたのだと先述のDDIポケットのお偉方さんが仰っていたのですが、確かにPHSとは思えないくらい、しっかり繋がりました。日豊本線の宮崎と都城の間あたりの山深い地域を特急列車に乗って通過中も、たまたまかかってきた電話が切れずに十数分間喋り続けることが出来たりして、PHSに対する固定観念が完全に覆されました。
 
 当時はカラー液晶やメールの打ちやすいモデルが続々と出てきていた頃でもあり、ハードの面での魅力が少し劣るところはありましたが、おおむね良い記憶として残っています。



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 私はこの頃九州の職場で働いておりまして、確か関西と四国と九州だけこのモデルのオレンジのカラーバリエーションが発売されるというので、最初で最後のJ-PHONEの機種を買いました。メーカーはノキアという事になっていますが、実際には三洋が作ったOEM商品です。私にとってノキア製品はこれで2台目ですが、OEMなので機能的な面でノキアらしさを感じることは一切ありませんでした。

 この頃のJ-PHONEと言えば、言わずもがなで写メールが大フィーバーしておりました。東海エリアを除き藤原紀香さんが広告塔となり、旋風を巻き起こしていました。さらにシャープの一部製品には液晶画面に3Dポリゴンを表示させることが出来るようになり、当時としては画期的に美しい液晶画面と相まってJ-PHONEのすごさを引き立たせていたわけですが、私が特に記憶しているのはそのあたりとは異なり、位置情報を使った「ステーション」という機能に大変心を引きつけられておりました。
 位置情報といってもまだGPSは実装されておりませんで、基地局を使った簡易測定ですが、その位置情報で自分のいる場所の天気予報を表示させたり、ニュースを流したりする事ができました。あとは位置情報を使ったすごろくゲーム「くりっくとりっぷ」がありまして、これにハマりました。私は出張が非常に多かったものですから、電車や高速バスでは移動中にポチポチと位置情報をクリックしまくり、飛行機では降り立ってただちにクリックして移動距離を圧倒的に稼いだりと、楽しみつつ、パケット通信料をモリモリ浪費させておりました。

 位置情報を使った携帯ゲームは後に「まちつく」や「コロニーな生活」等が出てきて人気を博していましたので、人の心をつかむ何かがあったのだろうと思いますが、その先駆け的な存在であったと書き残しておきたいと思います。



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 この次に書きますC409CAに不慮の出来事が起きまして、急遽九州セルラー管轄で購入したのがこの機種です。この前に日立がリリースした機種を使っていた事もあり、使い勝手は非常に手に馴染みました。

 この機種はパッと見は地味で何の変哲もないストレート型の携帯電話なのですが、スピーカー性能が突出しており、着信音をかなり大音量で鳴らせることが出来るという特徴がありました。それまで私が使っていた機種はいずれも着信音が小さめで、商業施設のような多少賑やかな場所にいると電話の着信に気付け無いこともありましたので、それは非常に喜ばしいことでした。
 緊急用に購入したので利用期間はそれほど長くはありませんでしたが、まずまず良い印象を持っています。



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 カシオのC409CAです。この機種が発売された頃も九州におりまして、au(旧IDO管轄)のコールセンターに電話をして取り寄せる形で機種変更しました。まだSIMカードもOTAも実装されていない時代に、よくもそんな事ができたものだと、今になって思い出しました。
 細かいことを言いますと、センターがC409CAに契約情報のロムを書き込んだ状態で発送し、コールセンターに端末が届いたことを知らせると、そこで契約を切り替える、という事をやったのだそうです。一時期携帯電話のコピーだったかフェイクだったかで他人に携帯電話を乗っ取られるかのような都市伝説が流れた事がありましたが、原理としてはほぼ同じです。

 この機種には苦い思い出がありまして、喜び勇んで手に入れたものの、どうも重大な初期不良をはらんだものを掴んでしまったようで、修理や交換が必要になりました。しかし、当時のauは表面上は「au」という1つのブランドにはなっていたものの、実務上は旧IDO(日本移動通信)と旧DDIセルラーのありとあらゆるシステムがバラバラに動いており、したがって旧IDO契約の私のC409CAを九州のauショップで修理して貰うことが出来ませんでした。では仕方なく当初と同じ形でコールセンターに電話して超短期間で機種変更をしようにも、確か最低30日くらいは使っていないと機種変更も受け付けられないと断られて、結局、関東に出張するまでの約半月くらい、壊れて動かないC409CAをお蔵入りさせ、急遽購入した別の携帯に電話してもらえるよう関係各位の皆さんのご協力を仰がなければならない事態になってしまいました。

 それから半年くらいが経ったでしょうか。auブランド各社のシステム統合はまだ道半ばながら、各県に1店舗だけ管轄外契約でも修理できる拠点が設けられまして、auの営業さんがドヤ顔で「出来るようになりますよ!」と教えてくれまして、「いまさら遅いわ」と、少しイラッとさせれたりも致しました。

 というわけで、運が悪かっただけですが、あまり良い印象が持てなかったこの機種でした。



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 携帯電話マニアと呼ばれる人たちからもスルーされがちな、とかく不人気だったツーカーセルラーも使ったことがありました。それがこの機種です。

 当時の私は仕事柄ツーカーの中の人ともそれなりにやりとりさせてもらっていましたが、この会社の社風はとにかく体育会系でして、お客様に魅力に感じてもらえる商品やサービスを考えるよりも、まずは「気合で売ってこい!」みたいな考えが非常に強く、なんだか感心できない会社だなと、当時の私は思っていました。

 当時のツーカーは通信エリアが他社に比べて劣っており、ただでさえ1.5ギガ帯の不利な周波数帯を使っている上に基地局の配備も充分とはいえず、さらに端末のバリエーションも他社にだいぶ見劣りがするものですから、どう転んでも売れっこ無いと、諦めておりました。
 いくつかの販売代理店はスーパーマーケットの店頭でくじ引きを行い、わけもわからずとりあえずくじ引きをしてみた通行人に「当選しました!」と言ってツーカーの携帯電話を契約させたりして、なんとか数を稼ぐという事をやっておりました。今では絶対に認められない、とんでもない営業手法です。

 ここまで酷い感想を持ちながらもあえて契約したのは興味本位以外の何者でもありません。あれだけエリアが酷いという評判を聞くと、つい試してみたくなってしまったのです。で、試してみて、なるほどなと思いました。

 それから数年して、松本人志さんを広告塔として「シンプルでええやん」と言い始めた頃にはようやくエリアや通信品質の改善に動き始めたようですが、時既に遅しという事で、結局auに吸収される運命となりました。



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 au初のカラー液晶のモデルが他社に遅れること数ヶ月、ようやく日立から発売されました。液晶がカラーになり、さらに「au」のロゴがプリントされました。これより前に発売された機種はいずれも「IDO」として発売され、途中から「au」のロゴになったものもありましたが、最初からauの機種として発売されたのは、確かこの機種と京セラのC307K、パナソニックのC308Pあたりだったように記憶しています。

 この時期の携帯電話には待ち受け画面にアニメのようなキャラクターが設定されているものが多々ありまして、デンソーがマメゾウ、三菱がアニメっちゃ等といったオリジナルのキャラクターを搭載させていたわけですが、日立はそこにハムスターを搭載させてまいりました。
 ちょうどその頃日本全国では「とっとこハム太郎」というアニメが大変な人気を博しておりまして、お店に来る小さな子供たちは皆異口同音に日立のキャラクターを「ハム太郎だ!」と嬌声を上げておりました。日立さんはきっと、わかっててやったんだろうなと、当時の私は大人社会の裏の部分を垣間見たような、そんな気がしたりもしておりましたね。




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 この頃の日本の携帯業界では、モトローラがC100Mという実にシンプルなモデルをau向けに出したり、エリクソンノキアがドコモ向けに出したりと、欧米の強豪メーカーが日本になんとか売り込みたいという意欲を見せつつある状況にありました。そんな中で発売されたNM502iを買いました。

 日本でしか使われていないPDCという通信方式に、日本でしか使われていないi-modeという謎のブラウジングシステムが搭載されたこの機種を、よくぞノキアが作ろうと決意したものです。普通ならOEMでお茶を濁そうとしてもおかしくない所ですが、これはノキアがちゃんと作ったモデルです。で、これで散々だったのが、ノキアFOMAのスタートまで一時撤退する要因になったのは間違いありません。
 i-modeにも着メロのダウンロードにも対応していた機種ですが、画面があまりにも小さ過ぎたりといろいろ問題があって、ほぼ通話とメールの専用機になっておりました。当時は同一キャリア間でなければ絵文字付きのメールを送り合うことが出来ませんでしたので、そういった用途で1年位は使ったように記憶しています。



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 記念すべきG'zONEの第一号機であり、それまでNTTグループしか契約したことがなかった私が初めてNCCキャリア(当時の携帯業界ではNTT以外のキャリアをNCCと呼んでいた)と契約した、その瞬間でありました。

 購入した理由は会社の上司に薦められたからですが、一瞬にしてcdmaoneの虜になりました。このケータイ遍歴シリーズがau機ばかりなのも、元はと言えばここでcdmaoneに深い感銘を覚えたのがその理由なのです。

 何が良かったかと言いますと、通話品質です。当時のドコモは携帯電話の利用者数が爆発的に増えて回線が逼迫状態にありました。さらに私は横浜の繁華街で働いておりましたので、回線逼迫の影響を非常に強く受けていたのです。通話はすぐに途切れますし、音質も酷いものがありました。仕事とプライベートで毎日何十回も電話をするのに、これでは辛いと思っていたところでしたので、cdmaoneの通話品質が誠に画期的でした。IDOの広告塔だった織田裕二さんがコマーシャルの中でドコモの通話品質をディスる場面がありましたが、本当にその通りだと思いました。

 防水も非常に便利でした。お風呂に入りながら通話をしようとするとマイクとスピーカーが水滴に塞がれてうまく声が届かなくなる問題はあったものの、水に濡れて壊れる心配がなくなるのはとても助かりました。当時は水濡れで携帯を壊してしまったり、さらには端末内の電話帳データやメールの履歴が消えてなくなって嘆き悲しんでいる人を大勢見てきましたので、このアドバンテージは大変なものがありました。この機種が出てから他社が追随するまで10年(日本無線除く)もかかったのが本当に不思議でなりません。

 ただ欠点もありました。これは端末ではなくIDOのシステムの問題ですが、メールを受信するのにわざわざセンターに確認しなければならないシステムでして、ドコモは端末に勝手に送り届けてくれるシステムでしたから、これは非常に不便でした。確認を忘れる=メール放置ですから、とても危険だったのです。
 ブラウジングについても、当時のIDOが提供していた「EZaccess」はWAPベースで構築されており、ただ文字が羅列されているだけというビジュアルでしたので、もうインターネットを使い初めて5年近く経っていた当時の私にとって面白くもなんともありませんでした。

 
 当時のムーブメントとは真逆を行くアウトローなモデルでしたが、私を携帯マニアにさせたとても印象深い1台だったと、今でも感謝の念を持ち合わせています。




以降は後日に続きます