モックセンター のブログ

携帯電話スマートフォンのモックアップを販売しているモックセンターの中の人のブログです。中の人はTVチャンピオンケータイ通選手権の出場者でもあります。最低週に1度は更新したいと思います。弊社の業務に関するお問合わせは弊社ホームページのお問い合わせフォームや電話窓口にお寄せ下さい。

私のケータイ遍歴 最終回


 約2週間に渡って続けてきたケータイ遍歴のシリーズも今回で最後となります。

 この2週間の間にも1台買ったものがありまして、今更かもしれませんがBlackBerryBold9900です。

 仕事用の電話とテザリングで使えれば良いと思い試してみたのですが、「3Gってこんなに遅かったっけ?」という位通信状況が悪く、早速選手交代の時期を考え始めています。ガラケーだと思って通話用に使い続ける事も考えているのですが、テザリングの親機としては非常に苦しいです。さすがに今時LTEにも対応していないのは辛いですね。身に沁みました。

1995年~2000年

hodogaya-mock.ocnk.net


 それまで使っていたNTTパーソナルのPHSを落っことして壊してしまった為、買い替えるつもりで訪れたドコモショップで店員さんに相談をして決めたのがドッチーモでした。そろそろ携帯電話も使用したいが、かといってPHSの電話番号をいきなり打ち切ってしまえばそれまでの人間関係が全部清算されてしまいかねないものですから、二兎を追う戦術に出たわけです。

 まずドッチーモとは一体何者なのか簡単にご説明しますと、ドコモの携帯電話とPHSが両方搭載されたハイブリッド携帯電話です。電話番号もそれぞれ090と070で設定され、こちらから発信する時も、携帯電話とPHSのどちらからでも発信することが可能です。それからしばらくしてドコモが「2in1」というサービスを始めましたが、それに近いものがあったかもしれません。
 また、初期のドッチーモは携帯電話とPHSの契約がそれぞれ別に動いており、したがって毎月の請求書や引き落としも別々に行われるという、なんとも無駄の多い仕組みになっていました。私は当初それに気付かなかったため、携帯電話の料金だけを支払い、PHSだけが料金未払いで止められてしまったという事もありました。
 
 この携帯電話を作っていたのはNECですが、当時はまだ折りたたみブームが訪れる前でしたので、そこまで人気のあるメーカーという事でもなかったように記憶しています。それよりは軽量コンパクトのパナソニックか、フリップ型の三菱の方が人気が高かったような気がしますね。
 物としてはごく普通で可もなく不可もなかったと思いますが、当時はモノクロの液晶画面に漢字が表示出来るだけで大喜びしていた時代ですから、この液晶画面が誇らしかったような気もします。



hodogaya-mock.ocnk.net

 
 人生二度目のPHSは、確かこの機種だったと記憶しています。初代はバイブレーター機能がありませんでしたので、イヤホンで音楽を聞いていると電話の着信に全く気付けないという難点がありましたが、ついに宿願のバイブレーターを手に入れて問題解決となりました。

 購入したのは渋谷のビックカメラだったように記憶しています。初代を買ったのと同じお店に行きました。当時私は18歳か19歳で既に親元を離れて生活しており、今なら親権者の同意を確かめるための書類を色々と用意しなければならず大変ですが、当時はチェックなど無いも同然でして、店員さんに親元を離れて生活しているので証明できるものが何もなく、保険証も自分専用のものなのでその手の証明ができないことを伝えると、それでとりあえず問題なく契約させて頂けました。

 機種そのものの感想はそこまで記憶していませんが、PHSの通話エリアが日に日に拡大してとても嬉しかったように思います。

 NTTパーソナルはドコモと違ってNTT東西の下につく会社だったため、NTT東日本の窓口に行けば諸手続きが出来た事も覚えています。NTT東日本の有人窓口は今では殆ど残っていませんが、この頃は各市町村に1箇所づつくらいは必ずありましたので、そういった点での利便性は他社より秀でていたと思いました。




■ 初代 不明


 1995年の夏から秋にかけての時期に購入した、記念すべき初代のPHSは、ネット上で色々と情報収集をしているものの、見つけることが出来ませんでした。当時は写真をデジカメで撮ってネット上にアップロードするなんて事は本当に難しくて珍しい行為でしたし、NTTパーソナルが現存しないのも、情報を探す難しさに拍車をかけています。

 形状としてはいわゆるストレート型で、バイブレーター機能がなく、1995年の夏の時点で既に販売されていたものとなります。初期費用は手数料や端末代金で合計5万円くらいかかりました。当時の私は高校生でしたが、同級生と比べてアルバイトの稼ぎが良かったものですから、割とアッサリと手に入れてしまいました。


 当初はPHSではなく携帯電話の購入も考えました。当時は800メガと1500メガの周波数帯で端末と料金がハッキリと区別されていて、1500メガだと東京23区内でも厳しい所が多く、800メガなら埼玉の浦和くらいまでカバーされていると渋谷のビックカメラの店員さんから丁寧に教わりました。しかしながら、諸々のランニングコストなども冷静に考えて、NTTパーソナルのPHSを選ぶことにしました。
 当時の私は250CCのオートバイに乗っておりましたので、自宅から買い物先の渋谷への行き来もオートバイです。買ったばかりのPHSを持って自宅に帰る途中、このままどこにも電話をかけずにまっすぐ家に帰るのもつまらないと感じ、バイクを停めた後、自宅のすぐ近くから、自宅に向けて初めてPHSの通話を試みました。すると、川崎市中原区の私の自宅周辺は運良く既にPHSのエリアに入っており、自宅にかけた電話に出たのは私の父親で、そのまま喜色満面で固定電話の受話器を握る父親の前に現れて、この文明の利器の素晴らしさを見せつけたり致しました。


 当時はポケットベルの全盛期です。通っていた高校では休み時間になる度に校内の公衆電話に長蛇の列が出来、皆さんが競い合うようにしてベル打ちをなさっておりましたが、私はポケットベルを使わずにいきなりPHSを使い始めましたので、友人を呼ぶ時も自分のPHSから友人のポケットベルに直接通信出来ました。公衆電話に並ばずに済む優越感は素晴らしいものがありましたが、私の周囲の大人も同年代の人達もみな、PHSや携帯電話が社会に広く普及する筈がないと断言しておりました。私の父親も「そんなものが流行るわけがない」と言い切っておりましたが、それが今では私用と仕事用で2台も持ち歩く暮らしを送っているのですからわからないものです。少なくともこの点において私には先見の明があったと、数少ない私の自慢話になっております。(ちなみにもう一つの自慢話は幼稚園の頃から一人で電車に乗って出かけていた事です)

 川崎の私の自宅は購入したばかりの頃から電波状態がいわゆる「バリ3」で何不自由なく暮らしていましたが、その後高校を出て一人暮らしを始めた東京都の池袋近くでは自宅の窓際でギリギリ電波が入るかどうかという状況に苦しめられました。池袋のほうが実家よりはるかに都会なので電波で困るとは思っても見ませんでしたが、その後「ホームアンテナ」なるものを見つけ出して、それによって電波問題も克服しました。

 高校を出たくらいの頃になるとさすがに世間の皆様方も携帯電話の有用性に少しづつ気付かれるようになり、持ち始める人も増えてきました。私も布教活動まがいのことをしたりもしていました。

 その後私が携帯電話関連の仕事を長きに渡って続けることになるとは、当時は全く想像もしていませんでしたが、あの頃からの新しいもの好きの気質がこの仕事に向かわせたのだなと、今になって振り返っている所です。




 長々続けてまいりましたが、私のケータイ遍歴はこれにて終了です。これから先も色んな携帯電話を手に取り続けると思いますが、良い思い出に出来るようにしたいものですね。