モックセンター のブログ

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カメラ付き携帯電話が初めて発売された時、世の中はどのように受け止めたのか。

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 日本で、いや世界で最初に発売されたカメラ付き携帯電話は、1999年に登場したDDIポケットのVP-210(※)だというのが私の歴史認識ですが、世の中的にはおおむね、2000年に登場したJ-PHONEJ-SH04が世界初のカメラ付き携帯電話として認識されているようです。


 当時も今もDDIポケットの認知度があまり高くなかったのもあって、いくら良い製品を出しても認めてもらえない、不条理な時代であったと言えるかもしれません。
 
 これはさしづめ、上野のパンダと和歌山のパンダの違いとも似ているかもしれません。和歌山の動物園でパンダの赤ちゃんが産まれてもテレビも新聞も全く取り上げないのに、上野動物園で産まれると大フィーバーとして扱われる、この不平等感というか、不条理感が、当時の携帯電話業界にも存在していたわけです。


 ですので私は今回、まったくもって不本意であるという前置きをしつつ、J-PHONEからリリースされたJ-SH04を世界初のカメラ付き携帯電話として取り上げてみたいと思います。

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J-SH04

※ VP210-Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/VP-210


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 世界で初めて発売されたカメラ付き携帯電話たるJ-PHONEのJ-SH04はシャープの製品です。シャープと言えば今では日本の携帯電話メーカーでも有数の地位を占める大型企業ですが、当時はまだ液晶テレビも発売されおらず、携帯電話業界の中でもそれほど高い地位に有るとは言い難い状況にありました。

 そういった苦境から一気に脱却して一躍スターダムへと押し上げたのが言うまでもなくカメラ付き携帯電話というわけですが、実は、シャープが一番最初にカメラ付き携帯電話の投入を持ちかけたのはJ-PHONEではなく、NTTドコモだったと言われております。
 
 ただ、当時のNTTドコモからはけんもほろろに断られて、それでやむなく、資本関係にあったJ-PHONEに投入を持ちかけて、見事に採用と相成ったというのが経緯でありました。

 1990年台後半のドコモは大変イノベーティブな会社でありました。NTTグループ随一の変わり者と定評のあった大星公二さんをトップに、松永真理さんや夏野剛さんといった外様の社員を受け入れて大胆に事業展開を行って産まれたのが、かの「iモード」でした。
 ですからシャープがドコモに話を持っていこうと考えたのはごく自然な成り行きだと思うのですが、この頃のドコモは短期間のうちに顧客を増やし過ぎた弊害とでも言いましょうか、慢心に近い空気があっという間に醸成されて、カメラ付き携帯電話の面白さを真剣に検討するような度量が、既に失われていたのではないでしょうか。


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 カメラ付き携帯電話が初めてお目見えした頃から世間の注目度はそれなりに高いものがありました。ですから一体どれがカメラ付き携帯電話なのだと携帯ショップに物見遊山に現れるお客さんも少なくありませんでした。

 ただ、注目度はそれなりに高いものがありましたけれども、では売れたのかと言えば、それもまた微妙な言葉を使わざるを得ませんでした。

 数を数えたわけではないので私の感覚的なものに過ぎませんが、「カメラなんかいらない」「そんなことより安くしろ」という声が圧倒的多数を占めていたように記憶しています。若い方の中には興味を示す人も多少はおられましたが、それでもネガティブな声のほうが圧倒的に多かったのです。



 もっとも、私の見立ては180度反対で、これは面白いし絶対に将来大流行すると思っていました。当時のJ-PHONEの外回り営業をしていた社員の皆さん達も会社に命令されて渋々推しているというのではなく、内心からカメラ付き携帯電話に熱い希望を持って目をキラキラさせていましたし、私もデモ機をじっくりといじくり回しながら、これぞイノベーションだと深い感銘を受けたものでした。


 しかし、いかんせん売れませんでした。

 私の感想からすると、J-SH04の何が不味かったかと言えば、ストレート型端末であったというのが一番不味かったのです。
 当時はNECのNの携帯を筆頭に折りたたみ携帯が大フィーバーで、猫も杓子も折りたたみ携帯という状況でしたので、ごく僅かなカメラ肯定派のお客さんの中にも「カメラは欲しいけど。。。」という声が聞かれました。

 J-SH04と時期同じくしてシャープから発売されたカメラの無い折りたたみモデルであるJ-SH05は、液晶画面が世界初のTFT65.536色という、これまでのSTN256色とは比べ物にならないモンスター級のハイスペックマシンで非常によく売れたものでしたから、このJ-SH05にカメラがついたらさぞや売れるだろうなぁと、非常にもったいないと思ったのを今でも記憶しています。

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J-SH05

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 当時のシャープやJ-PHONEの中の人達からすると、カメラ付き携帯電話が強い逆風に晒されて大変厳しい受け止めをしていたかもしれませんが、それでも諦めずに第二弾第三弾と続けます。


 そしてこの第三弾として世に送り出されたのが、携帯電話の歴史に燦然と輝く名機「J-SH07」です。

 私はこれまで数え切れないほどの数の携帯電話を販売してまいりましたが、こんなにもお客さんに喜ばれた機種は記憶にありません。とにかく喜ばれましたし、私のお勧めに乗って購入してくださったお客さんが後日知人友人を連れ立って「私の携帯を見てこの人達も欲しいと言うので連れてきました!」と、泣けるほど嬉しい言葉を何度も言われました。

 全くの余談ですが、私には2人の妹がおりまして、そのうち長女はとても真面目で私を褒めたことなど全く無かったのでありますが、そんな中で唯一褒められたのが、彼女が私の勧めに乗って購入したJ-SH07でした。とにかく喜んでくれました。あの人を褒めない妹ですら私を褒めたくなる、それくらい素晴らしい機種だったのがJ-SH07で、このブレークで、世の中のカメラ付き携帯電話に対する受け止め方が一変したのを、今でも強い印象として残っています。


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J-SH07

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 果たして、世の中の空気が一変しました。

 これまで声高に「カメラなんていらない」と言っていた人達が、今度は「なぜドコモにカメラ付き携帯電話が無いのだ」と言い始めました。手のひらを返すという言葉の意味を、間近で噛み締めました。


 ただし、これまでカメラ付き携帯電話などいらないと大見得を切っていたドコモもauも、カメラ付き携帯電話を投入する準備など整っている筈などありません。特にドコモはシャープの提案を蹴った立場です。今更どの面を下げて云々かんぬんという話です。


 auはJ-SH07が登場するよりも前から外付けカメラ「PashaPa(パシャパ)」なるものを投入したものの、本体にカメラが搭載されたモデルを投入するのは2002年春から、ドコモは一度蹴ったシャープを受け入れる形でauよりも数ヶ月遅れの2002年6月に、なぜかローエンドモデルである筈の型番200iシリーズから発売するという非常にチグハグとした流れで、ようやく肩を並べられるまでにはなりました。

au、「@mail」対応cdmaOne端末に装着する小型デジカメ


 それから先は皆様もよくご存知のように、カメラがつくのが当たり前の時代を迎え、今日へと至るというわけです。


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A3012CA
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SH251i

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 次世代通信規格である5Gの実証実験が行われているわけですが、これに対する世の中の受け止め方を眺めていて、ふと思い出したのがカメラ付き携帯電話の普及過程についてでした。まさにあの時と同じように、「いらない」「それより安くしろ」の声ばかり目につくのです。


 ですから私は思うに、世の中が5Gに対して冷ややかな受け止め方をしていても、中の人達はそんなものを気にする必要は無いのですし、我々のような開発に関わっていない外部の人間の方でも、なるべく楽しそうな未来絵図を考えて、開発する人達の心の支えになっていけたら良いのではないかと、そのように思いました。


 嫌な言い方になりますけれども、先を読めない人のダメ出しなど、耳を傾けるだけメンタルの無駄遣いになります。かつてトヨタやホンダが自動車生産に乗り出した時もダメ出しのオンパレードだったと言いますので、所詮はこんなものだと高をくくっても良いのではないでしょうか。


 というわけで、5Gの開発に関わる皆様方におかれましては、カメラ付き携帯電話の世の中の受け止めがどのように変遷したのかをよく知って頂き、励みにして頂ければという願いを込めて、当時の思い出話をさせて頂きました。




  

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