今日はいつもと違って私事から離れ、愛する携帯電話産業への憂いについて書かせて頂きます。
私はかねがね、日本の携帯電話産業は将来、世界有数の地位を築き、日本有数の大産業になれると考えてきました。
端末もインフラもコンテンツも常に世界で最も高いクオリティを作り上げてきましたし、今ではアメリカ勢の独壇場となってしまったOS(オペレーションシステム)分野においても、元はと言えばトロンという大変優秀な日本人研究者が開発されたシステムがあった筈ではなかったかと、そのように考えてきました。
ですが、これだけのものを持ちながら、残念ながら我が国の携帯電話産業は端末もインフラもコンテンツもOSも、ほぼ全てにおいて他国の後塵を拝しているのが現状です。
*■ ガラケー化の発端「PDC」
一体どうしてこうなってしまったのでしょうか。
それは、メインプレイヤーである個々の民間企業にも大きな責任があるのはもちろんとしつつも、それにも増して責任が大きいのではないかと私が考えているのが、日本政府そのものです。舵取りが不味かったのではないでしょうか。
まずどうして日本の携帯電話が「ガラケー」になってしまったのかと言えば、第2世代方式と呼ばれるデジタル携帯電話の通信方式で、世界の大多数が選択したGSMではなく、日本独自のPDC方式を選んでしまったのがケチのつき始めだったのではないでしょうか。
NTTグループが開発したPDC方式をNTTドコモが選択するのは理解できるとしても、日本移動通信(現au)がGSMを選択したのを当時の郵政省(現在の総務省)が却下したのは、これは完全に誤りだったと言わざるを得ません。
こうして第2世代が完全に日本の独自方式で固められた為、国内の端末メーカーもインフラメーカーも日本国内で売るのが前提の商品、つまりガラケーを作るようになるのは必然だったのです。
逆に欧米の端末やインフラのメーカーが日本市場に割って入ることができなくなり、それがやがて一種の貿易摩擦のような問題となって、そして日本移動通信とDDIセルラーがアメリカクアルコム社のcdmaoneを半ば強引に導入させられる事態へと発展してまいります。
この第2世代のデジタル携帯電話の方式を選ぶにあたって日本でもGSMを選んでさえいれば、国内の端末やインフラのメーカーが日本で売るためのものと同じような設計で海外向けモデルの商品開発が出来たわけで、いわば政府自らが誘導してガラパゴス化への道を歩ませたという歴史的経緯があったわけです。
*■ 政府による販売方法規制の始まり
少し愚痴が混じりますが、弊社が2008年に創業した時の最初の事業は、普通の携帯ショップでした。それが全く軌道に乗せられないまま閉店し、紆余曲折を経てモック屋となったわけです。
この2008年は携帯電話業界にとって負の歴史と呼ぶべき、暗澹たる1年でありました。携帯電話の年間販売台数がたった1年で5200万台から3600万台まで急落してしまったのです。
この2008年頃の携帯電話業界は、これもやはり政府からの要請というか規制と言うかで、携帯電話の販売方法を根本から見直さざるを得ない状況に追い込まれておりました。
それまで新規契約で、安いもので0円から、高くても1万円から2万円も払えば購入できた携帯電話の販売価格が、いきなり5万円以上に値上がる事となりました。これでは売れなくなるのも当然のことです。
なぜそのような事になったのかといいますと、資金力に勝る大手キャリアが携帯電話を安く売ると、資金力に劣る後発のイーモバイルが公平に競争出来ないから、というのが政府の言い分でした。
ではなぜ政府はイーモバイルをそこまで守ろうとしたのでしょうか。
それより少し前に、政府の肝いりで携帯電話の新規参入が行われました。しかしこれが大コケも大コケで、散々な状況に追い込まれたのです。
ブロードバンドを手がけるイー・アクセス、ヤフーBBでおなじみのソフトバンク、そして森ビルやTBSが共同で設立したアイピーモバイルの3社が政府から正式に許認可を受け、周波数の割当も行われる見通しとなったわけですが、ソフトバンクは新規参入の方針を撤回してボーダフォンの日本法人を買収する形での業界参入を果たし、アイピーモバイルに至ってはサービス開始にこぎつけることさえ出来ずに会社を清算する事態に追い込まれ、結局無事にサービスインにこぎつけられたのはくだんのイーモバイルただ1社だったのです。
政府肝いりで行った新規参入の虎の子の1社を必死に守ろうとするあまり、それまでほぼ100%国内メーカーで賄ってきた携帯電話販売台数を半分近くまで減らし、その影響を受けて携帯電話の製造から撤退するメーカーが相次ぎました。
兎にも角にも「ガラケー」ですから、作っているのも国内です。売れなくなった影響はそのまま国内にモロに波及し、全国各地の携帯電話製造工場が閉鎖を余儀なくされましたし、失業する人も多数に及んだのは間違いありません。
元はと言えば、市場が成熟しきった2000年代の中頃になって新規参入というのが無理筋でした。それよりも前から業界関係者の間で「上位3キャリアまでしか生き残れない」と言われており、実際にアステルやツーカーといった下位のキャリアが次々と淘汰されていくのを目の当たりにしてきましたから、何をか言わんやだったのです。
そういったはなから無理筋の政策を、更に無理を押し通そうとするあまりに日本の携帯電話産業の活力を大幅に削ぎ落としてしまったこの顛末も、大変悔やまれる所だと思います。
*■ 強度を増す販売方法規制と、その弊害
最近では、政府が繰り返し、スマートフォンを高く売る事を要請してきており、現在は要請の域を超えて完全に規制の段階にまで踏み込んでまいりました。
しかしそもそも、どうして高く売らなければならないのか、その根本的な理念が今の日本政府に備わっているのかが疑わしく感じています。
政府としては店頭価格を高く売るよりも、最終的に数が捌けてお金が回り国内経済の一助になる事のほうが重要ではないかと思います。
また、消費者心理としては入り口の敷居は低ければ低いほど入り口の先に進みやすいわけです。住宅販売だって自動車だって安いほうが幅広い層に売りやすいわけでして、それをことさら高く設定し消費者心理を冷え込ませる方向へ舵を切りたがる、その意図はどこにあるのでしょうか。
スマホ値引き規制で携帯出荷が過去最低に、国内メーカー大打撃も総務省はさらに規制強化へ | BUZZAP!(バザップ!)
この記事にこう書いてあります。
なお、出荷台数の減少でとりわけ影響を受けているのは国内メーカー勢で、スマホシェア5割を占めるAppleが3.1%減にとどまったのに対し、ソニーは28.5%減、シャープは46.4%減に。
これではアベノミクスに逆行させているだけではないでしょうか。
*■ 政治の力を前向きに使っていくためには
例えば鉄道インフラや原発などについては安倍首相が自らトップセールスで世界に売り歩くなどして産業の育成に取り組んでいるわけですが、携帯電話産業については全く逆に、なかば意図的に衰退に追い込まれているといって過言ではありません。
携帯電話産業だって大きく育てば国内に多額の税収を注ぎ込む事ができるわけですし、製造工場などは雇用不足の地方にとってかけがえのない雇用創出の場となりうるわけですから、政府は目先の規制に躍起になるのではなく、先々を見据えて、携帯電話産業の育成に舵を切ってくれないものでしょうか。
また、携帯電話業界は全般的に、政治力が大きく劣っているようにも見えます。
以前ジャーナリストの神尾寿さんがツイッターで「携帯業界も議員を送り込んだりしなくては」という趣旨のご発言をされていたように記憶しているのですが、まさに神尾寿さんのおっしゃるように、業界団体で組織内議員を送り込むなり、戦略的に政治献金を打って政策を誘導するなりしなければ、このままでは力ある携帯電話業界が全く生かされないまま、誰も望まない土管化にひた走る事になるのではないだろうかと強く危惧を致している所です。
今から15年ほど前、日本の携帯電話業界は間違いなく世界をリードする立場にありました。それが今では全く異なる様相を呈しています。そのことに対する危機感を官民それぞれに強く持ってもらいたいと、そのように感じている所です。