モックセンター のブログ

携帯電話スマートフォンのモックアップを販売しているモックセンターの中の人のブログです。中の人はTVチャンピオンケータイ通選手権の出場者でもあります。最低週に1度は更新したいと思います。弊社の業務に関するお問合わせは弊社ホームページのお問い合わせフォームや電話窓口にお寄せ下さい。

私のケータイ遍歴 その5


 我ながら、本当に色んな携帯電話を小刻みに買い替えてきたものです。


 2008年に各社が分割払いシステムを取り入れる前は、端末の購入は購入時の一括払いで値段は0円から、高くても1万円台後半くらいで買えましたし、だいたいどの会社も1つの端末を10ヶ月以上使用すれば新たに機種変更出来るという受付条件を設けておりました。ですから、基本的に2台持ちしていた私は多い年で4台買い替えていたと思いますし、それ以外にも会社から支給された携帯電話を持っていた時もありましたので、それら全てを思い出すだけでも大変です。
 今のシステムと比べれば、非常に恵まれた時期だったと思います。今はほとんど分割払いで、支払総額は安くても3万から4万、高いもので10万を超えるものもありますので、機種変更の値段が1万円を超えたくらいで高いと文句をつけていたあの頃の私自身が、なんだか気恥ずかしくもあります。

2002年~2005年


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 深い考えもなければ、これといった理由もなく、ただ漠然と購入したのがこの機種です。なにが良くて選んだのか今になって振り返ると、丸いのがよく見えたとか、そんな程度でしか無かったと思います。たくさんパケット通信を使うために購入したWIN機ですが、たしか数ヶ月で使うのを止めてしまったような、本当に薄い記憶しか残っていません。



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 ソニー製の初のWIN機でしたが、これが非常に良い、非の打ち所のない名機でした。今でもガラケーには十字キーが備わっているのが普通ですが、この機種は十字キーの上下がジョグダイヤルとなっていて、左右にはボタンが配置されて十字キーとしての機能が備わっております。これでメールなどの文字入力をする時に漢字変換で候補から選ぶ際、ジョグダイヤルをコロコロ回せば極めてスムーズに文字入力が出来るという優れものでした。処理能力も当時のau機の中では特筆すべき速さで、当時「モッサリ」というのが携帯マニアの間でよく使われた処理能力の劣る機種の呼び方だったわけですけど、この機種はモッサリとは無縁でありました。
 これより少し前のソニー製モデルは、特にドコモ向けモデルで不具合がたびたび起きていてソニーのブランドイメージが失墜しかかっていたわけですが、このあたりのモデルで完全に失地回復を果たしてきたと記憶しています。



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 主に通話とメールを使う目的で所有していたのがこの機種です。この頃のモデルは携帯業界全般的に比較的厚みのあるものが多かったのですが、この機種は当時としてはスリムで、それでいて液晶画面が精彩でキレイだと感じたのを覚えています。ここまでハッキリと「青!」という青のボディカラーも珍しく、ベイスターズファンとしては当然青を選ぶ以外にありませんでした。
 メール入力などで重要になる漢字変換の能力は、当時カシオ製に搭載されていたATOKソニーPOboxが評判の良いグループで、逆にこの機種を始めとした三洋の漢字変換は少々お馬鹿さんだったかな、と記憶しています。



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 auが満を持して市場に投下した「WIN」の記念すべき第一号モデルです。WINというのは、当時としては極めて速い2.4Mbpsでパケット通信を行えるシステムです。当時のドコモのFOMAが0.384Mbpsだったはずですから、どれくらい飛び抜けていたかがわかると思います。さらに速いだけでなく、「パケ死」が社会問題になったのが記憶に新しいこの時期、パケット通信料金の定額制が実現したのもエポックメイキングでありました。

 私は子供の頃からあまりアニメに縁がなかったのでガンダムのこともほとんど存じないのですが、この機種の赤いカラーバリエーションは発表直後から「シャア専用」という風にマニアの間で呼ばれておりました。私はシャア専用とは何なのかもよくわからないのに、それでも赤を選びました。
 この機種は非常に珍しい、大小の容量別に2種類の電池パックがプリセットされておりまして、大容量の電池パックを装着すると、それはそれはこんもりとした、いびつな形状の携帯電話になりましたし、大き過ぎて女性の手では収まりきらなかったのでは?という感じもありました。
 
 WINは通信速度が速いんだと盛んに宣伝されていましたので、それはそれは絶大な期待を持ってこの機種でパケット通信に励みましたが、端末の処理能力がそれほどでも無かったらしく、その画期的な通信速度を肌感覚でそこまで味わえたか?と言えば、正直な所そこまでではありませんでした。京浜東北線東海道線になった、くらいの感覚といえばわかってもらえるでしょうか。


 ちなみにこの機種は名目上は京セラ製となっていますが、実際には日立のOEMとなっております。この頃はOEM供給される携帯電話が結構色々ありましたね。




ケータイWatch ケータイ新製品SHOW CASE

Mobile:さようなら、フル機能のFOMA「D2101V」


 弊社が今の今まで、ただの一度もモックを入荷できていない、幻のモデル「FOMA D2101V」を買いました。今のところ私にとって最後のドコモ端末でもあります。どうも聞く所によれば、市場で普通に売れた台数が500台とか、それくらいとことん売れなかったらしい、この機種です。私はたまたま勤務先とは無関係の某ドコモショップで1円で投げ売りされているのを見かけて、つい出来心で買ってしまいました。

 この機種は、とにかくでかいです。何かと比べられればわかりやすいと思いますが、少なくとも21世紀に入って以降、こんなに大きなガラケーなど見たことがありませんので、携帯電話と比較するのは難しいです。だいたい600mmリットルのペットボトルくらいの大きさ、かもしれません。
 バッテリーの待ち受け時間はカタログスペックで1日程度ですが、実際には8時間くらいしか持たなかったと記憶しています。この機種はテレビ電話にも対応しており、なぜかFOMAを購入した、ギャル風の同僚とテレビ電話をしたのを覚えています。いくらテレビ電話の機能を持っていても、テレビ電話搭載の携帯電話を持っている人が身近にいなければ使いようがないという、当たり前過ぎる大きな壁を感じました。

 発売された頃はとにかく重いでかいと馬鹿にされたこの機種ですが、今振り返ってみれば、現代のスマートフォンもこれ(160グラム)と同じくらいの重さがあるわけでして、評価基準というのは時代によって色々あるものですね。




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 厳密に言いますと、私が持っていたのはこの機種のベースとなったA5303Hという機種です。形状は全く同じで、カラーバリエーションが異なります。私が持っていたのはシルバーとレッドのツートンカラーでして、当時は「ウルトラマン携帯」などと呼ばれておりました。
 日立が携帯電話を作って売っていたなどとは今の人は全く見当もつかないかもしれませんが、当時の日立はauにだけcdmaOneの端末をちょこちょこ作って販売しており、確か北米向けにも輸出をしていたように記憶しています。日立のグループで日立国際電気という会社も携帯を作っていて、こちらは主にドコモ向けに作っておりました。


 この機種の特徴は、カメラがヒンジ部についていて、外側にも内側にも向けることが出来るというギミックが搭載されていたことです。今のスマートフォンはインカメラとアウトカメラがついているのが当たり前ですが、当時はアウトカメラだけしかついておりませんので、いわゆる「自撮り」をするのは結構大変な作業でありました。それが手軽にできるようになったという機構です。
 その他、日立の携帯電話には「気配りスイッチ」なるものがありまして、本体側面にマナーモードにするためのスライドスイッチがあり、電話を鳴らしてはいけない場所でうっかり鳴らしてしまった時に、わざわざポケットから出さずにすぐにマナーモードに出来るという、簡単なようで案外そうでもない、かゆいところに手が届く素晴らしい機種でした。


 余談ですが、私の地元である川崎市の平間という街で、元モー娘。後藤真希さんが主演の映画のロケが行われまして、後藤真希さんや武田鉄矢さん等のビッグネームが平間にお越しになったのですが、そのロケで後藤真希さんが小道具として使っていたのが、このA5303Hで、カラーバリエーションも私と同じウルトラマンでした。
 もう10年以上も経つのに、すごく嬉しかったので鮮明に記憶しております。







以降は後日に続きます