モックセンター のブログ

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意外と身近な、現代人と戦争

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 私は昭和53年生まれの41歳です。


 つまり私が生まれたのは大東亜戦争(太平洋戦争)が終結してから33年しか経っていない時期の事でして、よって幼少期の私の身の回りには戦争を知る人々が大勢おり、親戚が集まった時などには酒の入った大人たちが戦争に関する話をしている事も珍しくありませんでした。


 普段は温和な父方の祖父は、そんな時でも頑なに自身の戦争体験を語ろうとせず、「軍需工場で働いていたから出征はしていない」と子供時代の私に言い続けておりました。
 しかし他の親戚から祖父は海軍に行っていたと聞かされていまして、おおむね趣旨を理解しました。そして子供心にも、それ以上祖父に戦争の話を聞いてはいけないという雰囲気は感じ取れ、それ以上聞くことはありませんでした。


 当時存命していた父方の祖父の兄弟は男ばかり3人で祖父が次男。長兄は海軍軍人で、太平洋戦争の折には何かの船の船長のような立場にあり、そして自分の船が3回沈められて3回とも生きて帰ってきたんだぞと、ニコニコとこともなげに語っていたのを今でも覚えております。


 父方の祖母は、戦争中は広島の瀬戸内海にある島に疎開していて、昭和20年8月6日の朝は、洗濯物を干している時に偶然、海の向こうに原爆の炎とキノコ雲を見て「キレイだな」と思ったと言っておりました。
 もちろん当時の祖母はそれがあの恐ろしい原子爆弾によるものだなど知る由もなく、だから純粋にそう感じたのだと言っておりました。


 母方の祖父は戦時中は陸軍に行っていて、母の実家には陸軍の軍服を着た若かりし頃の祖父の写真が飾ってありました。もちろん生きて終戦の日を迎えたものの、そこからしばらくシベリアで抑留生活を送りました。
 私は母方の祖父の姿を祖父が60歳代の頃から記憶しておりますが、当時既に祖父は腰が曲がって、かなり高齢のように感じられました。母曰く、祖父は若い頃から腰が曲がっていて、それはシベリア抑留時代の過酷な強制労働によるものであると後年になって聞かされました。


 ほぼ40年前のそういった私の幼少時代の様々な記憶が鮮明に残っているのです。ですから、私が生まれる33年前なんて、当時私に戦争体験を言い聞かせてくれた大人の人達からすればつい最近の出来事のようだったのだろうと、私は当時を振り返りながら感じるのです。

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 我が国の戦後の高度成長の端緒となったのが朝鮮戦争だというのは広く知られる所です。


 その後の経済成長も戦争と無縁ではなく、ベトナム戦争の時も日本がその補給基地となっていて、日本はそれによっていわば漁夫の利を得る形で、多大な富を得ることとなりました。
 私の出身地である神奈川県では、戦時中まで過疎化の著しい寒村に過ぎなかった県央部が、これらの戦争のおかげで経済成長と人口の増加という利益を享受しました。米軍関係の仕事は稼げるとの風評を聞いた周辺各地の人々が続々と押し寄せてきたわけです。


 米ソを軸とした冷戦構造も日本経済を後押ししていて、日本はある種資本主義経済のショールームのような役割を果たしました。
 東側、社会主義陣営の国々に対し、戦後復興で豊かになった日本の姿を見せる事で、東側陣営に留まる意欲を減退させ、平たく言えば「羨ましく」思わせる事に成功しました。
 中国が共産主義を事実上放棄して改革開放に舵を切ったのも、日本の繁栄がソ連の弱体化と並ぶ有力な動機であるのが明らかでありましょう。


 かくして我が国は、20世紀前半において戦争によって国中を焦土とした後に、他国の戦争によってこの世の春を謳歌するという皮肉に満ちた20世紀の後半を過ごすこととなりました。



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 失われた20年とか失われた30年とかという言葉を聞くことが少なくありません。その年数はそのまま冷戦終結後の年数を意味するようになっていると気付く人はどれくらいおられるでしょうか。


 東西冷戦時代に共産主義の理想を口にしてやせ我慢していた中国が共産主義を捨てて資本主義のプレイヤーの一員に加わり、また、冷戦のせいで経済どころでは無かった東南アジア諸国が冷戦終結で経済に注力できるようになった途端、我が国は経済優位性を失って、そこから坂を転げ落ち続けていると言えるのです。


 そのような状況の中で、まだいくらか豊かさの残り滓みたいなものに預かりながら、先の大戦を教訓に平和を唱えようというのは、いささか片手落ちというか、欺瞞に満ちていると、私にはそう思えて仕方が無いのであります。



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 つい数十年前までの我が国がそうであったように、この世界のどこかに、戦争で漁夫の利を得て豊かになる人がいます。


 この構図は21世紀の今も変わっておらず、ですから今でも国家間戦争や内戦によって命を落としている人が数え切れない位いるという事実があって、ここから目を背けるのは、広島の原爆慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の言葉と矛盾はないのかと、私は問いたいと考えています。



 毎年8月中旬になりますと、あたかも全国民が被害者であったかのようなムードで先の大戦を振り返る行事が営まれているわけですが、それでは根本的な解決や反省になっていないと、常に疑問を持ち続けています。


 世界中の人々が戦争をせずに豊かになれるように祈り、そしてその具体的な方法を模索する事が、現代人に求められているのではないでしょうか。




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