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様々なメディアを通してガラケーを否定的な論調で語る場面に遭遇します。
この記事のように遠回しに「まだガラケーなの?」という圧を加えてくる場合もありますし、あからさまにノーを突きつけてくる場合もあります。
そういった論調の中には「ガラケーはアプリが使えない」や「ガラケーはおサイフケータイが使えない」といった間違った意見が一切訂正されずに垂れ流されるような事も少なからずありまして、私は心を痛めています。
おサイフケータイが初めて出来たのは2004年のムーバ(PDC)なんだぞ!
と言い返してやりたい気持ちで一杯なのです。
そして、こういった世の中の空気に飲まれ、周囲からの圧に耐えきれずにスマホに変えてみたものの、必要最低限の事すらままならず、かといって周囲に常にサポートしてくれる人がいるわけでもない状況に追い込まれて、結局ガラケー(ガラホ)に戻さざるを得ないという方もおられます。
健康上の理由でマスクの着用ができない方もいるからマスク着用のお願いに慎重にあたらなければならないのと同様で、外見では判別のつきにくい様々な事情でガラケーを使う人の為にも、一つのポリシーとしてガラケーを使い続ける人の為にも、ガラケー利用者を馬鹿にしたり圧をかけたりするような言動は、謹んで頂きたいと、私は思うのです。
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携帯電話に長く携わっていると、携帯を通じて誰かを馬鹿にしたりマウントを取ろうとしたりして無用なストレスを生じさせる人が、いつの時代もいるものだと感じてしまいます。
それらを大雑把に年表的に表してみると、こんな感じになるかと思います。
■1990年代中盤から後半にかけて
●「まだポケベル使ってるの?」と、携帯・PHSへの移行が進みマイノリティとなったポケベル利用者を馬鹿にする。
●「030」の電話番号を自慢する。
■2000年代初頭
●ストレート型携帯を馬鹿にする(まだ折りたたみにしないの?etc)
●PHSを馬鹿にする(まだピッチなんか使ってるの?)
■2000年代中頃
●まだカメラ無し使ってるの?
■2010年代中頃
●まだガラケー使ってるの?
ぱっと思い浮かんだものだけ掻い摘んで並べてみましたが、恐らくこの手の問題は他にも色々あったと思います。
つまりそうやって常に何かしらのストレス源を作り出していかないと気が済まないタイプの方々や、他人の価値観を否定する事で快楽を満たしているタイプの方々がいて、そういった人々が好んで材料にしやすいのが携帯電話なのだろうと思いますけれども、何か、これまで我々の文明開化の歴史を笑い者にされているようで、あまり快いものとは思えません。
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携帯電話の世界は10年に1回くらいのタームで大きな転換期が訪れて、これまでの価値観が一気にひっくり返されていくような流れで来ていますので、スマホに成り代わるようなものが出てきてデファクトスタンダードになった時に、「まだスマホとか使ってるの?」といって何かを満たす人が再び登場するのかもしれないな、と思いつつ、ため息みたいなものをつかずには居られない、そんな所でしょうか。
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