モックセンター のブログ

携帯電話スマートフォンのモックアップを販売しているモックセンターの中の人のブログです。中の人はTVチャンピオンケータイ通選手権の出場者でもあります。最低週に1度は更新したいと思います。弊社の業務に関するお問合わせは弊社ホームページのお問い合わせフォームや電話窓口にお寄せ下さい。

最近の保土ヶ谷モックセンター


 一日一日で寒暖の差が大きく風邪を引きやすい時期になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は先週になってものの見事に風邪を引きまして、今週に入ってようやく本調子を取り戻しつつあるという近頃です。
 年齢も年齢ですし、元々体が強い方でもありませんので、食生活に気を遣って過ごしてはいるものの、それでも避けられませんでした。皆様もお気をつけ下さいませ。


 さて、まずは皆様にお願いしておりますフリーマーケットのアンケートについて、2月8日時点の途中経過をご報告申し上げます。


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 1位は予想していた通り東京23区内となっております。残念ながら千葉県内を希望される方はおられないようです。

 まだしばらくアンケートを続けるつもりではおりますが、やはり東京23区内で行うのが良さそうだという感じでしょうか。秋葉原や明治公園や新宿などで集客力のある大規模なフリーマーケットも行われるようですので、そのあたりを中心に検討していこうと思います。

 フリーマーケットを行う上で1つ気掛かりな事としては、もしも大量のモックをお買上げになる方がおられるとしたら、その方に一体どのように持ち帰って頂けば良いか?という課題があります。
 スマートフォンが1個でだいたい150グラムくらいありますので、単純計算で100個で15キロになります。かなり重いです。弊社店頭でも実際にたくさんお買上げになったお客様がお持ち帰りにかなり苦労される様子を目の当たりにしてきておりますが、しかしフリーマーケット会場では宅急便発送をご用意するわけにもいきませんので、せめて段ボールとガムテープくらいはご用意しておいた方が良いだろうか?などと、細かい事を考え始めております。

 そのあたりも含め、もうちょっと考えを煮詰めておかなければなりません。



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 現在弊社で最も時間を割いているのが、ヤフオクの出品数を増やす事です。現在は600種類を上回る程度ですが、これを1000種類くらいまで増やしたいと考えています。ヤフオクのモックカテゴリーは、以前は弊社も別の出品者様も含めた全ての出品数が常時3000件くらいありましたが、現在は1000件を切るくらいにまで落ち込んでおりまして、このままいけば弊社がカテゴリー全体の7割くらいを占めてしまう事になります。ヤフオクのカテゴリーをまるで自分の庭のようにしてしまっており、ちょっと申し訳ない気持ちもあります。

 それと、最近はフリマアプリが流行っているというご時世ですので、ヤフオクeBayに次ぐ販路としてメルカリにも出品してみようかと考えております。

 メルカリにはモックの専用カテゴリーが無いようですが、ざっと検索してみると多少はモックの販売が行われているようではありますので、まずは試してみようと思います。弊社では以前楽天オークションに出品していたこともありますし、昨秋まで3年くらいAmazonにも出品しておりましたので、また新しい場所で新しい作業を覚えるという事ですが、それもそれで楽しみでもあります。


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 最近少し、個人情報の取り扱いについて思う所があります。

 携帯電話業界は昔から他産業に先駆けて様々な個人情報保護対策を打ってきており、私もずっとその中におりますので、少々面倒くさいくらい、しっかりと対策を重ねてまいりました。

 しかし、個人情報の保護対策というのは得てしてお客様の利便性を損ねる側面も併せ持っておりまして、それによって心苦しく思う場面がここ数日続きました。

 例えば、弊社サイトのご注文時にオーダーフォームにご入力頂いたメールアドレスを間違えてしまわれたお客様から後になって正しいメールアドレスにメールを送り直すよう依頼されたとしますと、誠に残念ながらそれは出来ませんと、お断りをする事になります。お手数ですが、ご注文を一からやり直し、その際に今度こそ正しいメールアドレスをご入力して、そのご注文を活かして下さいとお願いしております。
 これにはもちろん理由がありまして、ご注文をされた方と、違うメールアドレスにメールを送ってほしいとご依頼された方とが本当に同一人物なのか確かめる術が弊社にはございませんので、万が一別人だったら取り返しがつきませんので、ですからお断り申し上げているのです。

 私がお客様の立場なら、なんとも面倒くさい、利便性の悪い店だと怒ってしまうかもしれませんが、大切なお客様情報を万に1つの確率でも第三者に流出させないようにするには、ここまでやる必要がある。というのが弊社の考えなのです。


 
 私は健康上の理由で定期的に病院に通っているのですが、私がお世話になっているその病院でも患者さんの取り違え防止や個人情報保護など様々な理由から、患者一人一人に対してかなり事細かに確認作業を行っておりまして、その事に苛立ちを隠しきれない患者さんというのも、結構な頻度で見かけるようになりました。

 お客様や患者さんの立場になって考えればお怒りになるのも無理もないのですが、どうかひとつそこはご理解頂ければありがたいなと、頭を悩ませている近頃です。



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平間通信株式会社横浜事業所のご案内 - 保土ヶ谷モックセンター

 弊社の店頭はこのような形で、ちょっと前までなら1日に1人来られるかどうかという来客数だったのですが、ここ最近は毎日数名のお客様に起こし頂けるようになり、とても嬉しく思っております。

 平日の昼間しか営業しておりませんので来られる方は相当限られますが、その中で保育園帰りの親子連れのお客様や、わざわざ電車に乗ってまでご来店頂けるお客様まで、なかなかバラエティに富んでおります。

 出来れば営業日や営業時間を伸ばしたいのがヤマヤマなのですが、これは今後弊社の売上が伸びて、従業員を雇ったりお店を増やせたりするような事があればという事になりそうです。



 これからも保土ヶ谷モックセンターを宜しくお願い致します。

フリーマーケットでモックを売ってみたらどうかと考えたりアンケートを取ったりしています

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フリマのアンケートをやっています - 保土ヶ谷モックセンター



 どこかの人が大勢集まるフリーマーケットにてモックを売ってみてはどうかと思い立ちまして、まずは数日前からアンケートのお願いをしております。


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 選択肢はこのようになっておりまして、1月30日の午後10時の時点で有効回答数は5件、これまでの状況は以下の通りでございます。


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フリーマーケット参加の目的


 まずどうしてフリーマーケットなのかという点ですが、理由は2つあります。ネット上で知名度を高めるのにも限界があると考えたからが1つ、私自らでやってみて成功例を作り、後は色んな方におまかせしたいと考えているのがもう1つの理由です。

 
 モックの潜在的なニーズはまだまだ少なくないようで、今でも初めてご利用下さるお客様から「もっと早く知りたかった」と非常にありがたいお言葉を頂ける事がしばしばありますので、そこでもう少し知名度を高める工夫が必要だと考えています。
 モックの販売方法ももう少し工夫が必要だと考えています。一から十まで全て弊社で手掛けるよりは、これまでの業務を続けつつも、卸のような形で弊社とは別に販売して下さる人や会社を探したいと思っています。その為に、こういう風にすればそこそこ売れますよと、私自らで示したいと考えたのです。

アルバイトを募る理由


 なぜアルバイトを募ろうとしているのかと言いますと、証人になってもらいたい、という考えが念頭にあります。
 私一人でやっていては、実際はサッパリ売れなかったのに嘘をついて「すごく売れました!」と粉飾まがいの事をするかもしれません。いや、もちろんそんな事はしませんけれども、アルバイトさんという証人がいれば、仮に私が粉飾まがいの事をやったとしてもツイッターなどで内部告発されて私の嘘が白日のもとに晒される仕掛けとしたいのです。つまり外部監査役みたいな位置付けです。
 
 あとは、私にはファッションセンスのようなものが全く無いとよく言われておりますので、売り場の美的センスを他人に任せたいのと、贅沢を言えば、フリーライターさんだったりブロガーさんだったりがネタ作りの一環として、いわば踏み台にされたい、とも考えていますし、もしくはこの件でアルバイトを経験された方が暖簾分けみたいな形で御自身でモックを売られるようになっても、それはそれで面白いとも考えています。
 会場の手続きをしたり釣り銭の用意をしたり、モックを現場まで運び込んだりというのは当然私がやるわけでして、アルバイトさんには売り場でお店番をしてもらったりポップを書いてもらったり、マッタリ過ごして頂ければと考えています。そもそも私自身もそこまであくせく働く方でもありません。


 こういった形でまずは私が事例を作って、関東近郊はもとより、私が行くことが出来ない北海道や東北や西日本についても、現地の方々の中で「自分もやってみたい」と手を上げてくれる人が現れるようになったら良いな、と考えています。

その後の理想的な展開


 もしも仮に今後どなたかにこういった形で販売をお任せするとしたら、その時の細々としたレギュレーションはともかく、商品代金についてはタダでも良いと思っています。だいたいモックを2000台から3000台くらいヤマト便でお送りしますので、あとは御自身のアイデアで売ってみて下さい(ただしネット以外の場で)、という流れで考えています。
 で、そのモックを売っている場所の片隅に弊社サイトの掲示板とチラシを置かせてもらって、「売り場に欲しいものが無い時は保土ヶ谷モックセンターも見てね」という形で宣伝することが出来れば、タダにした商品代金の元が取れるという計算です。



 弊社の店頭でも似たような形で販売を行っております。平日の午前11時から午後5時まで、この時間帯だとどちらかといえばご高齢のお客様が多い商店街という立地ですが、毎日のように誰かしらがご来店下さる程度のニーズが有るようですから、それが週末でもっと大勢の人が集まる交通事情の良いところであれば、なおさらニーズが有るのではと目論んでいます。


 いずれにせよ暖かくなる頃合いを見計らって実施をしようと考えていますので、冒頭のアンケートにご協力頂けますようお願い申し上げます。

私のケータイ遍歴 最終回


 約2週間に渡って続けてきたケータイ遍歴のシリーズも今回で最後となります。

 この2週間の間にも1台買ったものがありまして、今更かもしれませんがBlackBerryBold9900です。

 仕事用の電話とテザリングで使えれば良いと思い試してみたのですが、「3Gってこんなに遅かったっけ?」という位通信状況が悪く、早速選手交代の時期を考え始めています。ガラケーだと思って通話用に使い続ける事も考えているのですが、テザリングの親機としては非常に苦しいです。さすがに今時LTEにも対応していないのは辛いですね。身に沁みました。

1995年~2000年

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 それまで使っていたNTTパーソナルのPHSを落っことして壊してしまった為、買い替えるつもりで訪れたドコモショップで店員さんに相談をして決めたのがドッチーモでした。そろそろ携帯電話も使用したいが、かといってPHSの電話番号をいきなり打ち切ってしまえばそれまでの人間関係が全部清算されてしまいかねないものですから、二兎を追う戦術に出たわけです。

 まずドッチーモとは一体何者なのか簡単にご説明しますと、ドコモの携帯電話とPHSが両方搭載されたハイブリッド携帯電話です。電話番号もそれぞれ090と070で設定され、こちらから発信する時も、携帯電話とPHSのどちらからでも発信することが可能です。それからしばらくしてドコモが「2in1」というサービスを始めましたが、それに近いものがあったかもしれません。
 また、初期のドッチーモは携帯電話とPHSの契約がそれぞれ別に動いており、したがって毎月の請求書や引き落としも別々に行われるという、なんとも無駄の多い仕組みになっていました。私は当初それに気付かなかったため、携帯電話の料金だけを支払い、PHSだけが料金未払いで止められてしまったという事もありました。
 
 この携帯電話を作っていたのはNECですが、当時はまだ折りたたみブームが訪れる前でしたので、そこまで人気のあるメーカーという事でもなかったように記憶しています。それよりは軽量コンパクトのパナソニックか、フリップ型の三菱の方が人気が高かったような気がしますね。
 物としてはごく普通で可もなく不可もなかったと思いますが、当時はモノクロの液晶画面に漢字が表示出来るだけで大喜びしていた時代ですから、この液晶画面が誇らしかったような気もします。



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 人生二度目のPHSは、確かこの機種だったと記憶しています。初代はバイブレーター機能がありませんでしたので、イヤホンで音楽を聞いていると電話の着信に全く気付けないという難点がありましたが、ついに宿願のバイブレーターを手に入れて問題解決となりました。

 購入したのは渋谷のビックカメラだったように記憶しています。初代を買ったのと同じお店に行きました。当時私は18歳か19歳で既に親元を離れて生活しており、今なら親権者の同意を確かめるための書類を色々と用意しなければならず大変ですが、当時はチェックなど無いも同然でして、店員さんに親元を離れて生活しているので証明できるものが何もなく、保険証も自分専用のものなのでその手の証明ができないことを伝えると、それでとりあえず問題なく契約させて頂けました。

 機種そのものの感想はそこまで記憶していませんが、PHSの通話エリアが日に日に拡大してとても嬉しかったように思います。

 NTTパーソナルはドコモと違ってNTT東西の下につく会社だったため、NTT東日本の窓口に行けば諸手続きが出来た事も覚えています。NTT東日本の有人窓口は今では殆ど残っていませんが、この頃は各市町村に1箇所づつくらいは必ずありましたので、そういった点での利便性は他社より秀でていたと思いました。




■ 初代 不明


 1995年の夏から秋にかけての時期に購入した、記念すべき初代のPHSは、ネット上で色々と情報収集をしているものの、見つけることが出来ませんでした。当時は写真をデジカメで撮ってネット上にアップロードするなんて事は本当に難しくて珍しい行為でしたし、NTTパーソナルが現存しないのも、情報を探す難しさに拍車をかけています。

 形状としてはいわゆるストレート型で、バイブレーター機能がなく、1995年の夏の時点で既に販売されていたものとなります。初期費用は手数料や端末代金で合計5万円くらいかかりました。当時の私は高校生でしたが、同級生と比べてアルバイトの稼ぎが良かったものですから、割とアッサリと手に入れてしまいました。


 当初はPHSではなく携帯電話の購入も考えました。当時は800メガと1500メガの周波数帯で端末と料金がハッキリと区別されていて、1500メガだと東京23区内でも厳しい所が多く、800メガなら埼玉の浦和くらいまでカバーされていると渋谷のビックカメラの店員さんから丁寧に教わりました。しかしながら、諸々のランニングコストなども冷静に考えて、NTTパーソナルのPHSを選ぶことにしました。
 当時の私は250CCのオートバイに乗っておりましたので、自宅から買い物先の渋谷への行き来もオートバイです。買ったばかりのPHSを持って自宅に帰る途中、このままどこにも電話をかけずにまっすぐ家に帰るのもつまらないと感じ、バイクを停めた後、自宅のすぐ近くから、自宅に向けて初めてPHSの通話を試みました。すると、川崎市中原区の私の自宅周辺は運良く既にPHSのエリアに入っており、自宅にかけた電話に出たのは私の父親で、そのまま喜色満面で固定電話の受話器を握る父親の前に現れて、この文明の利器の素晴らしさを見せつけたり致しました。


 当時はポケットベルの全盛期です。通っていた高校では休み時間になる度に校内の公衆電話に長蛇の列が出来、皆さんが競い合うようにしてベル打ちをなさっておりましたが、私はポケットベルを使わずにいきなりPHSを使い始めましたので、友人を呼ぶ時も自分のPHSから友人のポケットベルに直接通信出来ました。公衆電話に並ばずに済む優越感は素晴らしいものがありましたが、私の周囲の大人も同年代の人達もみな、PHSや携帯電話が社会に広く普及する筈がないと断言しておりました。私の父親も「そんなものが流行るわけがない」と言い切っておりましたが、それが今では私用と仕事用で2台も持ち歩く暮らしを送っているのですからわからないものです。少なくともこの点において私には先見の明があったと、数少ない私の自慢話になっております。(ちなみにもう一つの自慢話は幼稚園の頃から一人で電車に乗って出かけていた事です)

 川崎の私の自宅は購入したばかりの頃から電波状態がいわゆる「バリ3」で何不自由なく暮らしていましたが、その後高校を出て一人暮らしを始めた東京都の池袋近くでは自宅の窓際でギリギリ電波が入るかどうかという状況に苦しめられました。池袋のほうが実家よりはるかに都会なので電波で困るとは思っても見ませんでしたが、その後「ホームアンテナ」なるものを見つけ出して、それによって電波問題も克服しました。

 高校を出たくらいの頃になるとさすがに世間の皆様方も携帯電話の有用性に少しづつ気付かれるようになり、持ち始める人も増えてきました。私も布教活動まがいのことをしたりもしていました。

 その後私が携帯電話関連の仕事を長きに渡って続けることになるとは、当時は全く想像もしていませんでしたが、あの頃からの新しいもの好きの気質がこの仕事に向かわせたのだなと、今になって振り返っている所です。




 長々続けてまいりましたが、私のケータイ遍歴はこれにて終了です。これから先も色んな携帯電話を手に取り続けると思いますが、良い思い出に出来るようにしたいものですね。

私のケータイ遍歴 その6

 私が携帯電話業界に足を踏み入れたのは2000年になってすぐの事です。世の中は「携帯電話を持ち始める」というフェーズから「折りたたみに買い換える」や「メールやi-modeを使う」というフェーズに移りつつある状況でした。ドコモの502iシリーズが爆発的に売れ、特にNECN502iN502itの人気は凄まじいものがありました。
 いきなり余談ですが、最近お客様からのお問い合わせ電話で「i-modeって何ですか?」と聞かれまして、果てしないカルチャーショックを受けました。ジェネレーションギャップと呼ぶほうが適切かもしれません。あの世間を大いに賑わせたi-modeを知らない世代が、既に社会に出て働いておられるという事が、大変な驚きでした。もうそんな昔の話になってしまったと、自分自身の年齢と相まって、色々と考えさせれました。


2000年~2002年

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 仕事用で会社から支給されて使っていたのがカシオのこの機種です。この機種がauとしては初めてとなるカメラ付き携帯でして、他にも通信速度が速くなる「CDMA2000 1X」に対応したとかナビ(固定画面の地図が見られるだけですが)に対応したといった様々なトピックも重なった事で、auのモデルでここまで売れたのは記憶にないというくらい、非常によく売れました。当時はドコモの市場シェアが6割近くあった時期でしたが、この機種目当てにauに移ってくる人も結構おりました。
 私としては、この機種には大変満足していた反面、カシオが普通の携帯メーカーになってしまったというもどかしい気持ちもありました。それまで数年間はG'zONEのごっつい携帯電話ばかりリリースしていましたので、せめてこの機種で儲けてもらって、儲けたお金で新しいG'zONEを開発してくれれば良いのだと自分を慰めていたような、そんな記憶もあります。



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 使用したのはそれほど長い期間ではありませんでしたが、ソニーのきせかえケータイを買いました。

 この前の年にC406Sという、ソニーでは初めてとなるきせかえパネル対応モデルが発売されまして、この機種が良い面と悪い面で賛否を二分する所があったわけですが、そのうち悪い面が改善されて登場したのが、このC1002Sだったと記憶しています。
 悪い面はジョグダイヤルの耐久性が脆い、ヒンジが脆い、液晶とボタンが接触して液晶に擦り傷がつくといった割と初歩的な問題だった事もあり、この機種はそれらの問題がほぼ改善されて、実に良い機種になりました。メールの打ちやすい機種でしたね。当時は結構個性的な機種が色々と出ていたものですから、それと比べると少しパンチに欠ける感じはありましたが。


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 私の記憶が確かなら、この機種を2001年に、九州で働いている時に買いました。DDIポケットとしては最初で最後の1台で、LEDが虹色に光る限定モデルを買いました。DDIポケットの九州方面のお偉方さんと商談をした時に、ものすごい熱意でDDIポケットの素晴らしさをプレゼンされまして、これは使わない訳にはいかないと思ってしまったのです。

 ご記憶されている方もおられると思いますが、PHSというのはそもそも移動中の通信に弱いところがありまして、基地局基地局との間で通信のバトンタッチをする事をハンドオーバーと言いますが、このハンドオーバーがダメで通話が切れてしまうのが、当時のPHSの状況でした。DDIポケットはそれを技術革新で切れないようにし、さらに通信エリアも携帯電話と遜色ないくらいまで広げたのだと先述のDDIポケットのお偉方さんが仰っていたのですが、確かにPHSとは思えないくらい、しっかり繋がりました。日豊本線の宮崎と都城の間あたりの山深い地域を特急列車に乗って通過中も、たまたまかかってきた電話が切れずに十数分間喋り続けることが出来たりして、PHSに対する固定観念が完全に覆されました。
 
 当時はカラー液晶やメールの打ちやすいモデルが続々と出てきていた頃でもあり、ハードの面での魅力が少し劣るところはありましたが、おおむね良い記憶として残っています。



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 私はこの頃九州の職場で働いておりまして、確か関西と四国と九州だけこのモデルのオレンジのカラーバリエーションが発売されるというので、最初で最後のJ-PHONEの機種を買いました。メーカーはノキアという事になっていますが、実際には三洋が作ったOEM商品です。私にとってノキア製品はこれで2台目ですが、OEMなので機能的な面でノキアらしさを感じることは一切ありませんでした。

 この頃のJ-PHONEと言えば、言わずもがなで写メールが大フィーバーしておりました。東海エリアを除き藤原紀香さんが広告塔となり、旋風を巻き起こしていました。さらにシャープの一部製品には液晶画面に3Dポリゴンを表示させることが出来るようになり、当時としては画期的に美しい液晶画面と相まってJ-PHONEのすごさを引き立たせていたわけですが、私が特に記憶しているのはそのあたりとは異なり、位置情報を使った「ステーション」という機能に大変心を引きつけられておりました。
 位置情報といってもまだGPSは実装されておりませんで、基地局を使った簡易測定ですが、その位置情報で自分のいる場所の天気予報を表示させたり、ニュースを流したりする事ができました。あとは位置情報を使ったすごろくゲーム「くりっくとりっぷ」がありまして、これにハマりました。私は出張が非常に多かったものですから、電車や高速バスでは移動中にポチポチと位置情報をクリックしまくり、飛行機では降り立ってただちにクリックして移動距離を圧倒的に稼いだりと、楽しみつつ、パケット通信料をモリモリ浪費させておりました。

 位置情報を使った携帯ゲームは後に「まちつく」や「コロニーな生活」等が出てきて人気を博していましたので、人の心をつかむ何かがあったのだろうと思いますが、その先駆け的な存在であったと書き残しておきたいと思います。



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 この次に書きますC409CAに不慮の出来事が起きまして、急遽九州セルラー管轄で購入したのがこの機種です。この前に日立がリリースした機種を使っていた事もあり、使い勝手は非常に手に馴染みました。

 この機種はパッと見は地味で何の変哲もないストレート型の携帯電話なのですが、スピーカー性能が突出しており、着信音をかなり大音量で鳴らせることが出来るという特徴がありました。それまで私が使っていた機種はいずれも着信音が小さめで、商業施設のような多少賑やかな場所にいると電話の着信に気付け無いこともありましたので、それは非常に喜ばしいことでした。
 緊急用に購入したので利用期間はそれほど長くはありませんでしたが、まずまず良い印象を持っています。



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 カシオのC409CAです。この機種が発売された頃も九州におりまして、au(旧IDO管轄)のコールセンターに電話をして取り寄せる形で機種変更しました。まだSIMカードもOTAも実装されていない時代に、よくもそんな事ができたものだと、今になって思い出しました。
 細かいことを言いますと、センターがC409CAに契約情報のロムを書き込んだ状態で発送し、コールセンターに端末が届いたことを知らせると、そこで契約を切り替える、という事をやったのだそうです。一時期携帯電話のコピーだったかフェイクだったかで他人に携帯電話を乗っ取られるかのような都市伝説が流れた事がありましたが、原理としてはほぼ同じです。

 この機種には苦い思い出がありまして、喜び勇んで手に入れたものの、どうも重大な初期不良をはらんだものを掴んでしまったようで、修理や交換が必要になりました。しかし、当時のauは表面上は「au」という1つのブランドにはなっていたものの、実務上は旧IDO(日本移動通信)と旧DDIセルラーのありとあらゆるシステムがバラバラに動いており、したがって旧IDO契約の私のC409CAを九州のauショップで修理して貰うことが出来ませんでした。では仕方なく当初と同じ形でコールセンターに電話して超短期間で機種変更をしようにも、確か最低30日くらいは使っていないと機種変更も受け付けられないと断られて、結局、関東に出張するまでの約半月くらい、壊れて動かないC409CAをお蔵入りさせ、急遽購入した別の携帯に電話してもらえるよう関係各位の皆さんのご協力を仰がなければならない事態になってしまいました。

 それから半年くらいが経ったでしょうか。auブランド各社のシステム統合はまだ道半ばながら、各県に1店舗だけ管轄外契約でも修理できる拠点が設けられまして、auの営業さんがドヤ顔で「出来るようになりますよ!」と教えてくれまして、「いまさら遅いわ」と、少しイラッとさせれたりも致しました。

 というわけで、運が悪かっただけですが、あまり良い印象が持てなかったこの機種でした。



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 携帯電話マニアと呼ばれる人たちからもスルーされがちな、とかく不人気だったツーカーセルラーも使ったことがありました。それがこの機種です。

 当時の私は仕事柄ツーカーの中の人ともそれなりにやりとりさせてもらっていましたが、この会社の社風はとにかく体育会系でして、お客様に魅力に感じてもらえる商品やサービスを考えるよりも、まずは「気合で売ってこい!」みたいな考えが非常に強く、なんだか感心できない会社だなと、当時の私は思っていました。

 当時のツーカーは通信エリアが他社に比べて劣っており、ただでさえ1.5ギガ帯の不利な周波数帯を使っている上に基地局の配備も充分とはいえず、さらに端末のバリエーションも他社にだいぶ見劣りがするものですから、どう転んでも売れっこ無いと、諦めておりました。
 いくつかの販売代理店はスーパーマーケットの店頭でくじ引きを行い、わけもわからずとりあえずくじ引きをしてみた通行人に「当選しました!」と言ってツーカーの携帯電話を契約させたりして、なんとか数を稼ぐという事をやっておりました。今では絶対に認められない、とんでもない営業手法です。

 ここまで酷い感想を持ちながらもあえて契約したのは興味本位以外の何者でもありません。あれだけエリアが酷いという評判を聞くと、つい試してみたくなってしまったのです。で、試してみて、なるほどなと思いました。

 それから数年して、松本人志さんを広告塔として「シンプルでええやん」と言い始めた頃にはようやくエリアや通信品質の改善に動き始めたようですが、時既に遅しという事で、結局auに吸収される運命となりました。



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 au初のカラー液晶のモデルが他社に遅れること数ヶ月、ようやく日立から発売されました。液晶がカラーになり、さらに「au」のロゴがプリントされました。これより前に発売された機種はいずれも「IDO」として発売され、途中から「au」のロゴになったものもありましたが、最初からauの機種として発売されたのは、確かこの機種と京セラのC307K、パナソニックのC308Pあたりだったように記憶しています。

 この時期の携帯電話には待ち受け画面にアニメのようなキャラクターが設定されているものが多々ありまして、デンソーがマメゾウ、三菱がアニメっちゃ等といったオリジナルのキャラクターを搭載させていたわけですが、日立はそこにハムスターを搭載させてまいりました。
 ちょうどその頃日本全国では「とっとこハム太郎」というアニメが大変な人気を博しておりまして、お店に来る小さな子供たちは皆異口同音に日立のキャラクターを「ハム太郎だ!」と嬌声を上げておりました。日立さんはきっと、わかっててやったんだろうなと、当時の私は大人社会の裏の部分を垣間見たような、そんな気がしたりもしておりましたね。




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 この頃の日本の携帯業界では、モトローラがC100Mという実にシンプルなモデルをau向けに出したり、エリクソンノキアがドコモ向けに出したりと、欧米の強豪メーカーが日本になんとか売り込みたいという意欲を見せつつある状況にありました。そんな中で発売されたNM502iを買いました。

 日本でしか使われていないPDCという通信方式に、日本でしか使われていないi-modeという謎のブラウジングシステムが搭載されたこの機種を、よくぞノキアが作ろうと決意したものです。普通ならOEMでお茶を濁そうとしてもおかしくない所ですが、これはノキアがちゃんと作ったモデルです。で、これで散々だったのが、ノキアFOMAのスタートまで一時撤退する要因になったのは間違いありません。
 i-modeにも着メロのダウンロードにも対応していた機種ですが、画面があまりにも小さ過ぎたりといろいろ問題があって、ほぼ通話とメールの専用機になっておりました。当時は同一キャリア間でなければ絵文字付きのメールを送り合うことが出来ませんでしたので、そういった用途で1年位は使ったように記憶しています。



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 記念すべきG'zONEの第一号機であり、それまでNTTグループしか契約したことがなかった私が初めてNCCキャリア(当時の携帯業界ではNTT以外のキャリアをNCCと呼んでいた)と契約した、その瞬間でありました。

 購入した理由は会社の上司に薦められたからですが、一瞬にしてcdmaoneの虜になりました。このケータイ遍歴シリーズがau機ばかりなのも、元はと言えばここでcdmaoneに深い感銘を覚えたのがその理由なのです。

 何が良かったかと言いますと、通話品質です。当時のドコモは携帯電話の利用者数が爆発的に増えて回線が逼迫状態にありました。さらに私は横浜の繁華街で働いておりましたので、回線逼迫の影響を非常に強く受けていたのです。通話はすぐに途切れますし、音質も酷いものがありました。仕事とプライベートで毎日何十回も電話をするのに、これでは辛いと思っていたところでしたので、cdmaoneの通話品質が誠に画期的でした。IDOの広告塔だった織田裕二さんがコマーシャルの中でドコモの通話品質をディスる場面がありましたが、本当にその通りだと思いました。

 防水も非常に便利でした。お風呂に入りながら通話をしようとするとマイクとスピーカーが水滴に塞がれてうまく声が届かなくなる問題はあったものの、水に濡れて壊れる心配がなくなるのはとても助かりました。当時は水濡れで携帯を壊してしまったり、さらには端末内の電話帳データやメールの履歴が消えてなくなって嘆き悲しんでいる人を大勢見てきましたので、このアドバンテージは大変なものがありました。この機種が出てから他社が追随するまで10年(日本無線除く)もかかったのが本当に不思議でなりません。

 ただ欠点もありました。これは端末ではなくIDOのシステムの問題ですが、メールを受信するのにわざわざセンターに確認しなければならないシステムでして、ドコモは端末に勝手に送り届けてくれるシステムでしたから、これは非常に不便でした。確認を忘れる=メール放置ですから、とても危険だったのです。
 ブラウジングについても、当時のIDOが提供していた「EZaccess」はWAPベースで構築されており、ただ文字が羅列されているだけというビジュアルでしたので、もうインターネットを使い初めて5年近く経っていた当時の私にとって面白くもなんともありませんでした。

 
 当時のムーブメントとは真逆を行くアウトローなモデルでしたが、私を携帯マニアにさせたとても印象深い1台だったと、今でも感謝の念を持ち合わせています。




以降は後日に続きます

私のケータイ遍歴 その5


 我ながら、本当に色んな携帯電話を小刻みに買い替えてきたものです。


 2008年に各社が分割払いシステムを取り入れる前は、端末の購入は購入時の一括払いで値段は0円から、高くても1万円台後半くらいで買えましたし、だいたいどの会社も1つの端末を10ヶ月以上使用すれば新たに機種変更出来るという受付条件を設けておりました。ですから、基本的に2台持ちしていた私は多い年で4台買い替えていたと思いますし、それ以外にも会社から支給された携帯電話を持っていた時もありましたので、それら全てを思い出すだけでも大変です。
 今のシステムと比べれば、非常に恵まれた時期だったと思います。今はほとんど分割払いで、支払総額は安くても3万から4万、高いもので10万を超えるものもありますので、機種変更の値段が1万円を超えたくらいで高いと文句をつけていたあの頃の私自身が、なんだか気恥ずかしくもあります。

2002年~2005年


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 深い考えもなければ、これといった理由もなく、ただ漠然と購入したのがこの機種です。なにが良くて選んだのか今になって振り返ると、丸いのがよく見えたとか、そんな程度でしか無かったと思います。たくさんパケット通信を使うために購入したWIN機ですが、たしか数ヶ月で使うのを止めてしまったような、本当に薄い記憶しか残っていません。



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 ソニー製の初のWIN機でしたが、これが非常に良い、非の打ち所のない名機でした。今でもガラケーには十字キーが備わっているのが普通ですが、この機種は十字キーの上下がジョグダイヤルとなっていて、左右にはボタンが配置されて十字キーとしての機能が備わっております。これでメールなどの文字入力をする時に漢字変換で候補から選ぶ際、ジョグダイヤルをコロコロ回せば極めてスムーズに文字入力が出来るという優れものでした。処理能力も当時のau機の中では特筆すべき速さで、当時「モッサリ」というのが携帯マニアの間でよく使われた処理能力の劣る機種の呼び方だったわけですけど、この機種はモッサリとは無縁でありました。
 これより少し前のソニー製モデルは、特にドコモ向けモデルで不具合がたびたび起きていてソニーのブランドイメージが失墜しかかっていたわけですが、このあたりのモデルで完全に失地回復を果たしてきたと記憶しています。



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 主に通話とメールを使う目的で所有していたのがこの機種です。この頃のモデルは携帯業界全般的に比較的厚みのあるものが多かったのですが、この機種は当時としてはスリムで、それでいて液晶画面が精彩でキレイだと感じたのを覚えています。ここまでハッキリと「青!」という青のボディカラーも珍しく、ベイスターズファンとしては当然青を選ぶ以外にありませんでした。
 メール入力などで重要になる漢字変換の能力は、当時カシオ製に搭載されていたATOKソニーPOboxが評判の良いグループで、逆にこの機種を始めとした三洋の漢字変換は少々お馬鹿さんだったかな、と記憶しています。



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 auが満を持して市場に投下した「WIN」の記念すべき第一号モデルです。WINというのは、当時としては極めて速い2.4Mbpsでパケット通信を行えるシステムです。当時のドコモのFOMAが0.384Mbpsだったはずですから、どれくらい飛び抜けていたかがわかると思います。さらに速いだけでなく、「パケ死」が社会問題になったのが記憶に新しいこの時期、パケット通信料金の定額制が実現したのもエポックメイキングでありました。

 私は子供の頃からあまりアニメに縁がなかったのでガンダムのこともほとんど存じないのですが、この機種の赤いカラーバリエーションは発表直後から「シャア専用」という風にマニアの間で呼ばれておりました。私はシャア専用とは何なのかもよくわからないのに、それでも赤を選びました。
 この機種は非常に珍しい、大小の容量別に2種類の電池パックがプリセットされておりまして、大容量の電池パックを装着すると、それはそれはこんもりとした、いびつな形状の携帯電話になりましたし、大き過ぎて女性の手では収まりきらなかったのでは?という感じもありました。
 
 WINは通信速度が速いんだと盛んに宣伝されていましたので、それはそれは絶大な期待を持ってこの機種でパケット通信に励みましたが、端末の処理能力がそれほどでも無かったらしく、その画期的な通信速度を肌感覚でそこまで味わえたか?と言えば、正直な所そこまでではありませんでした。京浜東北線東海道線になった、くらいの感覚といえばわかってもらえるでしょうか。


 ちなみにこの機種は名目上は京セラ製となっていますが、実際には日立のOEMとなっております。この頃はOEM供給される携帯電話が結構色々ありましたね。




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Mobile:さようなら、フル機能のFOMA「D2101V」


 弊社が今の今まで、ただの一度もモックを入荷できていない、幻のモデル「FOMA D2101V」を買いました。今のところ私にとって最後のドコモ端末でもあります。どうも聞く所によれば、市場で普通に売れた台数が500台とか、それくらいとことん売れなかったらしい、この機種です。私はたまたま勤務先とは無関係の某ドコモショップで1円で投げ売りされているのを見かけて、つい出来心で買ってしまいました。

 この機種は、とにかくでかいです。何かと比べられればわかりやすいと思いますが、少なくとも21世紀に入って以降、こんなに大きなガラケーなど見たことがありませんので、携帯電話と比較するのは難しいです。だいたい600mmリットルのペットボトルくらいの大きさ、かもしれません。
 バッテリーの待ち受け時間はカタログスペックで1日程度ですが、実際には8時間くらいしか持たなかったと記憶しています。この機種はテレビ電話にも対応しており、なぜかFOMAを購入した、ギャル風の同僚とテレビ電話をしたのを覚えています。いくらテレビ電話の機能を持っていても、テレビ電話搭載の携帯電話を持っている人が身近にいなければ使いようがないという、当たり前過ぎる大きな壁を感じました。

 発売された頃はとにかく重いでかいと馬鹿にされたこの機種ですが、今振り返ってみれば、現代のスマートフォンもこれ(160グラム)と同じくらいの重さがあるわけでして、評価基準というのは時代によって色々あるものですね。




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 厳密に言いますと、私が持っていたのはこの機種のベースとなったA5303Hという機種です。形状は全く同じで、カラーバリエーションが異なります。私が持っていたのはシルバーとレッドのツートンカラーでして、当時は「ウルトラマン携帯」などと呼ばれておりました。
 日立が携帯電話を作って売っていたなどとは今の人は全く見当もつかないかもしれませんが、当時の日立はauにだけcdmaOneの端末をちょこちょこ作って販売しており、確か北米向けにも輸出をしていたように記憶しています。日立のグループで日立国際電気という会社も携帯を作っていて、こちらは主にドコモ向けに作っておりました。


 この機種の特徴は、カメラがヒンジ部についていて、外側にも内側にも向けることが出来るというギミックが搭載されていたことです。今のスマートフォンはインカメラとアウトカメラがついているのが当たり前ですが、当時はアウトカメラだけしかついておりませんので、いわゆる「自撮り」をするのは結構大変な作業でありました。それが手軽にできるようになったという機構です。
 その他、日立の携帯電話には「気配りスイッチ」なるものがありまして、本体側面にマナーモードにするためのスライドスイッチがあり、電話を鳴らしてはいけない場所でうっかり鳴らしてしまった時に、わざわざポケットから出さずにすぐにマナーモードに出来るという、簡単なようで案外そうでもない、かゆいところに手が届く素晴らしい機種でした。


 余談ですが、私の地元である川崎市の平間という街で、元モー娘。後藤真希さんが主演の映画のロケが行われまして、後藤真希さんや武田鉄矢さん等のビッグネームが平間にお越しになったのですが、そのロケで後藤真希さんが小道具として使っていたのが、このA5303Hで、カラーバリエーションも私と同じウルトラマンでした。
 もう10年以上も経つのに、すごく嬉しかったので鮮明に記憶しております。







以降は後日に続きます

私のケータイ遍歴 その4


 再びケータイ遍歴の続きを書きたいと思います。プライベートが充実していないので、おかげでブログ更新が実によく捗ります。


2005年~2008年


 この頃の私は代理店の中の人になっておりまして、現場に立つことは殆どありませんでしたし、ちょっと違う仕事に関与したりしていました。
 不思議なもので、現場を離れてしまうと、携帯電話の新しい知識があまり頭に入ってこないようになってしまいました。それまでは仕事で特に必要ではない領域まで勝手に調べて、学んで、知識を積み上げてきたのですが、そのルーティンが崩れつつあった、そういう時期を過ごしていました。


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 私は時々古い機種をわざわざ用意して使い始める事があるとケータイ遍歴シリーズの最初の記事の中で書きましたが、このC452CAを買った時こそがまさにそれでした。
 購入したのは2006年頃だったと思いますが、当時の携帯業界はどのメーカーも折りたたみ式ばかりリリースしており、私もその時流に流されて折りたたみ式の機種を使っていたのですが、ある時ふと「このままでいいのか」と思い立ちまして、あえてこの機種を人づてにご用意いただき、使い始める事に致しました。

 さて、この機種の通信方式はcdmaoneと言います。1990年代末期に日本移動通信とDDIセルラーグループが供用し始めたもので、その後この2社が経営統合し、やがて「CDMA2000」や「WIN」と名称が付けられたかなり大幅にアップグレードされた通信システムが次々と供用されるようになりましたので、私がこの機種を使い始めた時期は、既に旬を遠い昔に終えた旧世代方式という位置付けでありました。
 そういうものをわざわざ選ぶからには色々とデメリットもあり、当時私が使っていたauのメールアドレス(@ezweb.ne.jp)を新しいものに変更しなくてはならなくなりました。


 日頃から新しい携帯電話に慣れ親しんでいた私にとって、ある意味斬新と言えるほど液晶画面がチープでありました。昔の機種を使っているのですから当然ですが、最新機種と比べて解像度が万倍くらい違う液晶画面とはこういうものなのか、という感動がそこにありました。


 正直言いまして私は今でも通話用携帯はストレート型の方が良いと思っている位ですので、チープな液晶にさえ慣れてしまえば、あとはすこぶる気分良く、しばらくの間この機種を使い続けたのですが、デコメールを使わなければならない事情があり、2007年か2008年くらいに選手交代と相成りました。


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 当時のauはオレンジのカラーバリエーションをいろんな機種に配置しておりました。業界トップのドコモの機種が比較的オーソドックスなカラーバリエーションに抑えられていましたので、少し冒険してみた感じを演出したのかもしれません。というわけでW41CAのオレンジを買いました。
 
 パケット通信をガリガリ使い込む為に持っているセカンド機という位置付けでしたが、機能面で特に目覚ましいと感じるような要素は見当たらず、あえて言えば個性の中途半端な機種だったかもしれません。1年使い続けたかどうか、あんまりこれといった印象が思い出せませんね。


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 日本で最初にワンセグTVを搭載させたW33SAも買いました。当時のauには「ダブル定額」という名前のパケット通信定額サービスがありまして、このサービスを受けるためにはauの中でも「WIN」方式の携帯電話を使う必要があったものですから、したがってこの機種はダブル定額のために持つセカンド機という位置付けでありました。
 テレビについては思ったようには映りませんでした。当時の勤め先が都内にありまして、そこから川崎市内の自宅へ帰る電車の中で見られたら良いなと言う思惑もあったのですが、あいにくほとんど見られませんでした。当時の東急東横線は全線で地上を走っていましたので電波が届いてもおかしくない筈なのになぁと思いましたが、やむを得ず、ダブル定額でめいっぱいパケット通信をして通勤時間を過ごすことになりました。
 という事情もあり、それほど長い期間は使い続けられなかったように思います。




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 私は当時、カシオ愛に満ち満ちた人間でありました。2001年で打ち止めになったG'zONEシリーズの復活を心から願い、携帯電話関係者に会う度にこの事を言い続けておりました。auの新製品発表会では直接メーカーのご担当者にお話を聞く機会がありますので、その都度復活の要望を告げましたし、auの営業の方にも言いました。確かTVチャンピオンの収録の時にもそのような話を誰かれ構わず言っていたように記憶しています。
 そして2005年、念願かなってついに復活の運びとなった新しいG'zONEですから、発売日に即買いしたのは言うまでもありません。当時の私は中の人でしたので、有無を言わせずに私の分の在庫を確保させました。

 感動のご対面となった新しいG'zONEは、以前とは違い折りたたみ式になった事が若干不満ではあったものの、100点満点で150点くらい与えたくなるような、素晴らしい一台でした。
 お時間の有る方はモックの写真をご覧いただきたいのですが、モックについているバンパーが全て違う形状をしているのがわかると思います。これは購入時のパッケージに3種類とも同梱されており、ユーザーが好きなものを選んで装着出来るようになっている、心憎い演出がなされていたのです。ですから私は、とにかくウキウキしながら、勤務時間中にもかかわらず仕事そっちのけでバンパーを取り付けた事をよく覚えています。


 この機種は主に通話とメールで使用していましたので特に新商品が出ても買い換える動機にはならなかったのですが、色々と思う所があり、1年位使った所でC452CAに選手交代と相成りました。




 
以降は後日に続きます

#ヤフオク の商品名ルールが変わることに対する感想

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付属物(箱、説明書等)や模型(モック)、パンフレット等の出品について -お知らせ - ヤフオク!



 ケータイ遍歴を一旦中断して、先日発表されたヤフオクのルール改定について私なりに思ったことなどを書かせて頂きたいと思います。



 まず、ざっと読んでみた感想としては、いかようにも解釈できる、あいまいで、そして危ういルールだと思いました。


 これはヤフオクだけではありませんが、大手ネットサービスの運営側には大勢のスタッフの方が関わっているのが一般的で、なかにはスタッフの方によって対応にバラツキが見られる場合も少なくありません。
 私は以前「続・モックを本物の携帯電話と思われて注文されてしまう件 (追記 2016/11/09 13:57) - 保土ヶ谷モックセンター のブログ」という記事の中でアマゾンの対応について書きましたが、アマゾンも対応する担当者によってかなり違います。カスタマーサポートとアカウントスペシャリストという2つの部署で見解が正反対に割れて私がそこに巻き込まれたり、新規出品者を勧誘する部署のスタッフとカスタマーサポートとで言い分が異なったりという事例がザラにありました。
 ヤフオクを管理運営するセクションが運営にどの程度均一性を持っているのか私はわかりませんが、この文面を読んだ限り、果たしてどの程度機能するのか、対応するスタッフによってゴールポストがあちこち動き回る事態にならないか、非常に心配する所です。


 ですから、個々の事例についてもっと具体的に細かく定義付けを行うべきだと私は思います。
 例えばモックアップであれば「商品タイトルの先頭に「モック」とつけなければならない」、説明書なら「商品タイトルの先頭に「説明書」とつけなければならない」くらいギチギチに縛る必要を感じます。
 このヤフオクのリリース文を読んだ限り、色々と逃げ道が作ってあって、なんとでもなってしまうと、私は思います。

 
 もっとも、それ以前の問題として、ヤフオクではカテゴリー違いのルールを無視した出品物が平気でまかり通っていたりします。モックのカテゴリーに液晶保護フィルムや白ロムがそのまま出品されているのを日頃から目にしておりますので、果たしてどの程度マネジメント出来ているのか、という点も気がかりです。




 このルール改定がどのような問題意識を発端として実現に至ったのか、私は内部事情を知る立場にないのでわかりません。問題意識を持って頂けることには感謝を申し上げますが、しかしながら、誰を守ろうとしているのか、いまいちよくわからないという、複雑な気持ちで受け止めています。


 ヤフオクのリリースを読む限り、説明書や付属品、模型、モックなどについて、商品タイトルに注意喚起を入れる事が求められているわけですが、それはすなわち、商品説明を読まずに取引を行うことをヤフオク自ら是認するのかのような
印象が拭えません。
 出品者自ら商品説明すらその点に触れずに出品しているなら問題が有るでしょうが、多くの場合商品説明には何かしらの説明書きをしていますから、まずは必ず商品説明を読ませる事を第一に考えるべきではないでしょうか。例えば入札ボタンを商品説明の一番最後に設置して、一度ディスプレイに商品説明を表示させてからでなければ入札ボタンを押せない仕組みにする等、やりようはいくらでもあるのではないでしょうか。


 私が「誰を守ろうとしているのか」と疑義を呈しているのもまさにそこで、商品説明に書いて有ることを読まずに入札したがために生じたトラブルを問題視して、その改善策として出してきたルールが今回のものだとするのであれば、それでは落札者を守ることも出来ませんし、出品者を守ることにも繋がらないと、私は思うわけです。




 最近は様々な事業者が「わずらわしさを極力排除する」事でしのぎを削っておられるわけですが、しかしそれによって必要事項の確認まで排除してしまってはトラブルを増やすだけであり、消費者の側もその点に留意すべきであります。


 携帯電話の契約や購入手続きも、昔は複写式の申込書に住所氏名電話番号を書いて免許証のコピーを取る程度で済むような、非常に簡便であっさりとしたものでしたが、それでトラブルが年々増えてしまったせいで、今日のような煩雑な手続きを必要としなければならなくなったわけです。最近では「レ点チェック」も消費者自らで行わなければならないと言われるようになりました。
 煩雑な手続きがあるのは、その背景に少なくないトラブルが生じていたからであって、消費者の側にも重々ご理解いただきたい所です。


 また、ヤフオクのような業界のガリバーは、消費者に向けた意識の啓蒙活動を行うべき立場にもあろうかと思います。「啓蒙する義務がある」とまで書くと言葉が強過ぎますが、それに近い立場なのではないかと思います。


 メルカリや楽天系のようなライバルが勢いをつけてきて競争が大変なのは確かでしょうが、しかし、だからといってヤフオクまでやすきに流れてしまうようでは、消費者としていよいよ困ってしまいます。
 メルカリのように「ネットフリマ界の西○」と揶揄されるような所と同じ土俵に乗られては、もはやネットオークションやネットフリマにクオリティを期待することが不可能になりますので、ヤフオクにはそこで踏み止まっていただきたいと私は願っています。




 弊社では元々商品タイトルの冒頭に「●モック●」とつけて出品しておりますから今回のルール改定には何もせずとも合致出来ている状態と言えますが、過去から今日まで一定数の間違え入札が後を絶たず、かれこれ7年に渡って追加のアプローチについて試行錯誤を続けてきました。


 先日書いた記事へのコメントの中でも「モックだけではわからない人も多いのでは?」といったご意見を多数頂戴しており、私も全くの同意見であります。そして、だからこそ今回のヤフオクのルール改正の実効性がいかほどのものなのか、心配しているのです。


 こういったトラブルは無いに越したことはありませんので、ヤフオクさんにはもうちょっと踏み込んだ対応をとってもらえたら良いのになと、そんな風に結論づけたい所です。