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連日のようにテレビのワイドショーを賑わせている、この件についてです。
テレビで論じられているポイントは「どうして、どのように4630万円を使ったか」という点と、今後予想される処罰についての2点が主だった所で、だいたいの場合、感情論で埋め尽くされている印象があります。
「国民の血税」「町民の為の予算」をあっという間に浪費された事への怒りの感情はもちろん理解できるのですが、怒りの感情をより一層高めようと煽っているだけとしか思えないテレビの論調にも首を傾げざるを得ません。
これは現実に生じている社会問題なのですから、怒りを煽っているだけで良い筈がありません。
人口の少ない小さな町の予算にポッカリと空いた4630万円もの大きな穴をどうやって埋めるのか、それこそが今もっとも急いで議論するべきテーマなのでは無いでしょうか。
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この町の町長さんはこれまで返して貰いたいという気持ちを繰り返し述べておられましたが、低所得者向け給付金の支給対象者が4630万円をポンと返せる筈が無いのは明らかです。
現時点で言われている「働いて返す」という話についても、仮に一切のギャンブルを断って可処分所得のほとんどを返済に費やしたとしても、年収250万円の場合で年間50万円返済が限度でしょうし、それだと金利ゼロでも93年も掛かってしまい、とても現実的と言えません。収入が倍になっても、93年が半分になるだけであります。
阿武町としては「返さなくて良い」という態度は絶対に取れないでしょうが、現実問題としては返済してもらうために役場の職員さんがあれこれ働くだけ余計に損失を増やすだけですから、町民に対するある種のポーズを取る以上の事は、やるべきではありません。
それよりも、日本中が大注目してくれている今だからこそ、他の方法で挽回する事を考えるべきではないでしょうか。
今こそふるさと納税の仕組みをフル活用して、ふるさと納税をかき集めて4630万円の穴埋めをやっていくべきではないでしょうか。
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田舎の人は汚点や不祥事に一生懸命フタをしたがる所があります。郷土の恥を晒したくないという意識が強いように、こちら山梨でも感じられます。
しかし、一度日本中の話題を席巻してしまった以上は腹を括るべきです。
それこそ埼玉県の「翔んで埼玉」や千葉県の銚子電鉄のような自虐路線をお手本に、この4630万円誤振込の町として、精一杯の自虐を込めた、まさに阿武町にしか出来ない空前絶後の自虐ふるさと納税を推進するべきです。
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もしも私が阿武町の町長だったならば、「4630万円誤振込」を誰かさんにパクられないように商標登録しつつ、「4630万円誤振込グッズ」のアイデアコンテストを全国に対して表明したいと考えます。
全国のデザイナーさん、クリエイターさん、絵師さんといったイノベーティブな人々に4630万円誤振込をネタにしたグッズを考案してもらい、それをコンテスト形式で全国の皆様に見てもらい、オンラインで投票してもらうのです。
4630万円の主な行き先であるオンラインカジノ的な要素を取り入れた専用ウェブサイトも作り、応募作を表示するスロットマシンがひとつひとつクルクル回るようにしたり、閲覧者が「コレが良い」と投票した応募作品の人気オッズを表示してみたりして、そのコンテストで投票が多かったり中の人がグッと来たりした応募作のグッズを製作の上、コンテスト結果発表と合わせて、4630万円誤振込グッズを返礼品とするふるさと納税の応募を開始するのであります!
そうやって徹底的に話題作りに努め、転んでもただでは起きない精神を発揮する必要があるのではないでしょうか。
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この事件で「お金を返してもらえない」のが明らかになった際、私は「競馬かな?」と思ったのです。
私は若かりし頃に競馬にハマってしまった事がありまして、平日は川崎競馬へ、週末は桜木町のウインズか府中の競馬場へ、という南武線沿線在住の強みをフルに活かして競馬を楽しんでしまい、後々とても苦労しました。
その時の経験を踏まえて言えば、中央競馬(JRA)はちょうど春のG1シーズン真っ只中ですし、G1なら売上が大きい分、いきなり4000万円クラスの資金を一挙に投入しても極端にオッズが動きにくいですから、「この馬は絶対勝てる!」と踏んだお馬さんに単勝馬券を全額つぎ込んで、「単勝2倍で8000万円に増やしてから阿武町にお金を返しても手元に3000万以上残る」みたいな事を考えてしまったのでは?と邪推したのであります。
それが競馬ではなくオンラインカジノだったとの事ですから、種類は違えどやはりギャンブルだったかと、かつての私の境遇と重ね合わせながら、色々と考えてしまいました。
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コロナ禍で競馬を始めとした公営ギャンブルのネット投票が非常に活況なのだそうで、それはつまりこのお金を返せなくなった24歳男性の予備軍みたいな人が日本中に増えてしまっている可能性も大いに考えられますので、これを一つの契機としてギャンブル依存症に対する国家的な取り組みを考えていく方向へ進んでもらうと、それなりに建設的なのではと、付け加えて終わりにしたいと思います。
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