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インターネット老人会という言葉があるようです。かくいう私もNTTグループが「テレホーダイ」を始める前からインターネットに親しんできた部類ですので、そのインターネット老人会の仲間入りをしているかもわかりません。
今になって冷静に振り返れば、「ICQ」っていうのは今で言うLINEそのものですよね。なんて事を思ったりもしている今日この頃です。
えーさて、ではインターネット老人会があるのであれば、携帯オタク老人会があっても良さそうなものではないか、なんていう事も、ふと思ったりもしております。
あいにく近年の私は携帯電話熱が若干低空飛行気味ではあるものの、そうはいってもTVチャンピオン携帯電話通選手権の予選1位通過を果たした(本戦は初戦敗退ですが)長年の携帯オタクであると自負しております。
ですので、勝手に携帯オタク老人会なるものを考えつき、その挙げ句に誰にも認められていないのに会員ぶって、今の若い携帯オタクの皆様方は恐らく知らないであろう、携帯電話用語の知識をいくつかひけらかしつつ、歴史の語り部として、後世に語り継いでいこうと思い立ったというわけです。
■ezアクセス
今で言うauのネット接続サービスを「ezウェブ」というのは携帯オタクの常識中の常識なのでありますが、実はその昔、これを「ezアクセス」と呼んでいた時期があるというのをご存知の方は、今ではあんまりおられないんじゃないでしょうか。
この時代であります。
具体的に「ezアクセス」というサービス名称を用いていたのは日本移動通信(IDO)のみで、後にIDOと統合してauとなるDDIセルラー、そしてツーカーセルラーとツーカーホンは最初から「ezウェブ」を名乗っておりました。
つまりIDOがセルラー陣営に飲み込まれる格好となったわけですね。
どうせ両社ともcdmaOneを使う仲なのだから、最初から同じ名前でサービスインすれば良かったんですけどね。
■prin
DDIポケット(後のウィルコム)のプロバイダーサービスが「プリン(prin)」です。
DDIポケットは「カードエッジ」と呼ばれるデータ通信端末を手広く取り扱っておりました。それをノートPCに差し込んでいつでもどこでもインターネット接続できるというのがウリだったわけですが、カードエッジそのものは単なる回線に過ぎず、インターネットに繋ぐためのプロバイダー契約が別途必要となっていたわけです。そしてそのプロバイダーのうち、DDIポケットが自ら手がける「プリン」が一番申込みが手軽でオトクですよ、と売っていたわけですね。
ドコモは第2世代(PDC)方式の携帯電話を販売する際に、周波数の異なる800メガ帯と1500メガ帯の2系統で分けて対応致しておりました。
800メガ帯がメインで1500メガ帯が少し料金の安いサービスという風に性格付けられておりまして、後に1500メガ帯のサービスを「シティフォン」と名付けました。
ネーミングの由来は利用できるエリアが東名阪に限られていたからなのですが、よくよく考えてみればシティフォンのエリアに含まれない札幌(人口195万)や福岡(人口153万)はシティじゃないのか!と批判を浴びかねない、空恐ろしいネーミングであったと、今更思うわけであります。
今はなきツーカーセルラーグループがテレビコマーシャルに松本人志さんを起用して「シンプルでええやん」と宣伝していた時代の料金プランです。
ドコモauボーダフォンが軒並み4000円前後の基本料金を最低ラインとしていたのをツーカーは2500円とし、さらに2500円をまるごと無料通話分として使える、という利点もありました。
これは今でもそうですが、「高機能は要らないから安くして欲しい」「シンプルな料金が良い」という消費者の声は当時から根強くありました。
ですからツーカーはその消費者の声を真に受けてシンプルプランに打って出たというわけですが、いざ蓋を開けてみれば、「安いほうが良い」という消費者ほど今まで使っていたキャリアから動こうとせず、ほとんど消費者から見向きもされないまま、やがてツーカーブランドそのものが消滅の憂き目に遭うという結末を迎えるに至りました。
この頃のツーカーは懸案だった通信品質(電波の入り具合)向上にかなり力を入れてクオリティについては上位3社と比肩できる状況にあったわけですが、必ずしも良いものが売れるとは限らないのが難しい所でして、傍から見ていても非常に気の毒な感じがしたのを今でもよく覚えております。
ご丁寧にウィキペディアのページが用意されておりました。
あらかじめ指定したボーダフォンの携帯電話番号に対する通話料やメールが無料になるボーダフォンのオプションサービスで、まずまず好評を博しました。
私はこの時期も携帯屋さんで販売に携わっておりましたが、当時の私はまだ若かったのもあって、このサービス名を口に出すのがとても恥ずかしかったのを記憶しております。
ちなみに、保土ヶ谷区が生んだ大スター楽しんごさんの一発ギャグ「ラブ注入」がヒットしたのはラブ定額が登場した6年後の2011年の事であります。
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お役に立てましたでしょうか。
携帯電話業界の今日の繁栄は、かつて様々な人々の血と汗と涙の結晶であります。
多くの人々が忘れてしまったとしても、せめて我々携帯オタクだけはこの事を胸に刻み続けておきたいものだと、そのように私は考えている所であります。
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