モックセンター のブログ

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どうして日本の携帯電話は国際競争に敗れたのか。反面教師として産業界に知らしめたい。


 トゥゲッターまとめにてどうして日本の携帯産業が負けたのかというテーマが少し盛り上がっておりまして、興味深く読んでおりました。



togetter.com



 私も一応携帯電話業界の片隅に身を置くようになって25年になりますので、この栄枯盛衰をじっとこの目で見つめながら、悔しい思いを抱いてきました。


 今の若い方にはサッパリわからない話だと思いますが、20年くらい前までの我が国の携帯電話業界は端末もインフラもコンテンツも、全てにおいて世界を席巻するほどの地位を築いていたのです。

 
 よくテレビ東京の経済番組などで高齢の評論家の方が「どうして日本にはGAFAMのような企業が誕生しないのか!」と嘆いておられますけれども、20年前の日本の携帯電話業界の実力は今のGAFAMのそれと比べて全く遜色なかったと言っても過言ではありません。


 20年前のインターネットを支配していたマイクロソフトスマートフォンの開発パートナーにシャープを選んだのも、それを証明する出来事であったと考えています。


 しかし、マイクロソフトとシャープが共同でW-ZERO3を開発していた正にその頃こそ、日本の携帯電話業界のバブルが弾けた時期でもあったと言えると思います。



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 日本の携帯電話業界が国際競争に敗れた原因を大雑把に言えば以下の2点に集約出来ます

(1)政争の具となり、国策が道を誤った事
(2)民間企業の内弁慶体質。「郷に入れば郷に従え」が出来ない。


(1)政争の具となり、国策が道を誤った事

 こと携帯電話産業について政府は足を引っ張ってばかりいたと思います。

 1990年代初頭の第2世代携帯の通信方式を採択する際、郵政省(現総務省)は既にグローバルスタンダードとなっていたGSM方式ではなく、今も蜜月関係が続くNTTグループが開発したPDC方式を全キャリアにゴリ押しした為、日本のメーカーは端末もインフラも日本で作ったものが海外に売れず、逆に海外メーカーは自社のGSM製品を日本で売れない鎖国状態と化しました。
 そしてその点が非関税障壁であると米政府から圧力を受け、焦った政府はPDCを展開し始めたばかりの現KDDI陣営に米クアルコム社が開発したcdmaOneを使用するようにゴリ押し、現KDDI陣営が倒産間際と揶揄されるほど財務体質を毀損させ、競争力を失わせる原因ともなりました。

 それからおよそ10年後。小泉政権の規制改革によって新規参入を果たしたイーモバイルですが、後の政権が再び規制強化路線に180度転換し既存大手の端末値上げと料金ダンピングが始まった煽りを受けて加入者獲得がままならなくなり、経営継続を断念。ソフトバンクグループに事実上吸収される格好となりました。その規制強化路線の巻き添えで加入者増に急ブレーキがかかったPHSキャリアウイルコムも経営継続を断念し、イーモバイルと同じ道を辿る事になりました。
 その国策転換により端末の販売実績が前年比5割減となった影響からソニー、日立、東芝の小型液晶ディスプレイ事業の経営も急速に悪化し、これらを血税で救済する為の受け皿会社「ジャパンディスプレイ」が作られる運びとなりました。


 さらにそこから10年あまり後。第二次安倍政権の規制改革によって新規参入を果たした楽天モバイルですが、こちらも後の政権が規制強化に転換、既存大手の料金ダンピングが再び繰り出された事から窮地に陥り、厳しい状況が続いています。

 このように、携帯キャリアも端末メーカーも非常に振れ幅の大きな国策転換によって多大な機会損失を被り、成長の芽を潰され続けてきました。




(2)民間企業の内弁慶体質。「郷に入れば郷に従え」が出来ない。

 日本のメーカーが作るいわゆるガラケーは、1990年代後半から利用が普及したメール機能(ショートメール・Eメール)の操作性を重視している都合上、日本語入力に特化している性質があります。

 日本語は46種類の平仮名と片仮名と無数の漢字、それにアラビア数字を織り交ぜて構成する言語なのに対し、欧米で主に使用されるのは26文字のアルファベットとアラビア数字なのであります。

 したがってアルファベットで言葉を交わす国々においては日本語に特化したハードでは文字が非常に打ちにくいと不評が飛び交っていたのでありますが、日本の端末メーカーはそれらの不評に耳を貸さず、日本式の携帯電話をゴリ押し続けてきました。


 そうした状況の中で登場したのがBlackBerryやHTC、サムスンなどが製造するようになったクワーティ配列と言われるボタンの配列を行った端末で、とりわけカナダのRIMが開発したBlackBerryが瞬く間に欧米を席巻しました。
 その勢いで日本製の携帯電話は一気に駆逐されてしまい、以後海外の市場シェアで存在感を示すことはほとんど無くなってしまいました。



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 自滅を続ける日本企業とは反対に、端末でもインフラでも堅実に存在感を高め続けているのが韓国のサムスン電子であります。


 サムスンが日本で端末を売るようになったのは2000年代中頃からで、当時は日本式の折りたたみではなくフリップタイプやストレートタイプの端末を作って売っていたのが、2年もするとパッと見で日本製と見紛うような折りたたみ式を作って売るようになりました。

 スマートフォンが市場の中心になるかならないかの2010年代になると今も続くGalaxyシリーズを登場させ、日本市場向けにはワンセグ搭載モデルやおサイフケータイ搭載モデルをつぎ込むなど、「郷に入れば郷に従え」のローカライズ戦略を徹底しているのが見て取れました。


 サムスンは世界中の国々に自社製品を売り込むため、早くから経済途上国向けの廉価モデルも手掛けていましたし、欧米向けにもミッドレンジ、そしてGalaxySシリーズのようなハイエンドモデルと幅広いラインナップを設けてきたのも特徴的でした。
 今日本に来ている中南米やアフリカ出身者の方々が携帯ショップで指名買いするのは、ほぼ間違いなくGalaxyであります。それくらいどこの国でも通用しているのです。

 サムスンと世界一を争い続けているAppleが経済途上国にそれほど力を注がないのとは対照的であります。

 私にはサムスンとの利害関係は一切ありませんし肩入れする理由は一つもありませんが、しかしながら日本企業の体たらくと比べてみれば、見習うべき点が非常に多いのは間違いない所だろうと考えています。



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 携帯電話業界は、うまくやれば端末と通信料とコンテンツで40兆円を上回るような、自動車産業をも凌駕する巨大産業に成長出来た可能性があったと今でも考えているのですが、残念ながら道を誤り、雇用面でも税収面でもそれほど貢献度の大きくない、寂しい産業に落ちぶれてしまいました。


www.itmedia.co.jp
 

 年頭にこの記事を読みまして、携帯業界だけでは無いんだなと、正月早々おめでたくない落ち込んだ気持ちになりました。


 かつて世界第二位の豊かな国だったのが、それが今では他人にサービス残業を強いることでなんとか物価上昇を最小限度に抑えようとするようなさもしい国になってしまい、これからの時代を生きる若い人たちに非常に申し訳ない思いを持っています。


 どうか若い皆さんは我々世代の失敗を反面教師にして、同じ過ちを繰り返さぬよう、日本がダメなら海外に行ってでも良い人生を送って欲しいものだと、そのように考えている所であります。



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